地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ブログ開設8周年記念・上田交通クハ252

2012-10-28 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは開設から8周年の節目を迎えました。2000年前後に約10年の非鉄時代から目覚め、撮り貯める中で腕もぼちぼち申し訳程度に向上し、さらにデジ一眼の普及と購入によって撮る枚数も増える中、ネット上で知り合ったごく限られた方々にまったりと自分の撮り鉄画像をお楽しみ頂くために(要は自己満足のために)深いことは考えず始めたのが当ブログの縁起でございます。しかし100万アクセスを機にブログ名を改め、小まめにネタを仕込んでアップする日々を続けているあいだにいつの間にか8年という時間が過ぎ、記事の数も約2400に達しているとは! (@o@) 飽きっぽく目移りばかりの自分 (だからこそ撮る対象は絞られずあちこち浮気……^^;)にしては信じがたい話です (笑)。今後も、アクセス数云々には一切関係なく、単純に個人的に気に入った鉄道車両の画像や気になる鉄道事情をめぐる駄文、そしてシコシコ作った鉄道模型 (←8年間における最大の変化は、模型にハマって自分で組むようになったことでしょうなぁ)の製作過程を備忘録的に綴って行くのみですが、そんな箸にも棒にもかからないような落書きを自己責任でご覧頂く皆様に多少なりともお楽しみ頂ければ幸いです m(_ _)m



 というわけで今回は、去る9月2日にアップした上田の平面ガエル・クハ290画像と同じ日に撮影した、上田の古典的秘宝たるクハ252をアップしてみましょう~。
 1986年秋に昇圧するまでの上田交通は、手持ちの電動車の制御方式が統一されていなかったことから、2連を走らせる際にはそれぞれの制御方式に対応するクハを用意するか、ぶら下がりサハを連結するかの選択を強いられておりました。大別するとHL車 (4桁車番の百の位が2)、AL車 (4桁車番の百の位が3) に分けられますが、かといってHL車の制御装置が琴電のように揃えられているということはなく、5250・5260・5270・5370形は結果としてそれぞれ相棒クハが存在し、運用上の都合で相棒クハを動員できない場合は、他の形式に対応するクハもしくは純粋なサハをぶら下げる……という、今日からみれば実に悠長な運用が展開されていたものです。勿論、制御装置が統一されず、それだけ様々なクハを用意しなければならないこと自体、お世辞にも効率的であるとは言えず、車両が老朽化を極める中では部品の融通も利かなかったわけで、それが結局86年秋の昇圧とクリームガエル化につながったものと思われますが、そんなローカル私鉄らしさ全開の風景が消えて行ったことは、当然の成り行きとはいえ返す返すも残念なことであります……(遠い目)。
 そんな状況が展開していた上田交通別所線750V時代末期にあって、クハの主力は電動車最大勢力たる丸窓5250形に対応するクハ290となっていましたが、電動車の第二勢力である5370形に対応するクハ252も非常によく活躍する一両であったと言えましょう。信濃鉄道 (現・大糸線) の木造車をAL化し、さらに小田急クハ1650の車体を大改造のうえ載せたモハ5370が、神中鉄道DC→相鉄クハ1501を譲り受けたクハ252を牽引してガタガタと走る姿は、神奈川県央からやって来た半鋼製釣掛マニアな少年の心を鷲づかみにして離さなかったことは言うまでもありません……(*^^*)。しかもこのクハ252、半室運転台が温存され、ロングシートが最前部まで残っていましたので、前面展望は極上級! 別所温泉で最前部に陣取れば、クハ252・モハ5370の趣深いニス塗り車内や、モハ5370の野太い釣掛サウンドを楽しむ暇はなくなりますので、ある意味で究極の選択でしたね……。そこで私は、5370の車内とモーターを選択し、クハ252は別所温泉で車内の写真を撮るのみだったのですが、ちょっと勿体なかったですね (^^;)。
 ちなみに、元長電の5261・5271には、それぞれに対応するクハ261・271という車両がありましたが、261・271は私の訪問時(といっても中2夏・中3卒業時・高1夏の計3回ですが……)には決まって上田か上田原に放置され、5261がクハ252を代用ぶら下がりサハとして従えているシーンも撮影したものです (汗)。モハもクハも1形式1両という状態では、上田や別所温泉での臨機応変な増解結に261・271を用いるのは面倒だという判断があったのでしょうか……。そんなレア (?) シーンは、また機会がありましたらアップしてみたく存じます。

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3 コメント

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Unknown (はいらーある)
2012-10-28 22:49:57
いやはや、これは素晴らしい写真ですね。
私が、最初期に買った鉄道雑誌の一つにレイルマガジン85年11月号があるのですが、その購入理由の一つが昇圧直前の上田交通を特集していたということがあげられます。それまでコロタン文庫の断片的な知識しかなかった上田交通に、これほど種々雑多な車両群が在籍していようとは、と衝撃を受け、以後の私の鉄道趣味に大きな影響を与えた鉄道です。残念ながら当時まだ小学生だったため、訪問はかなわず、この車両群をこの目で見ることのできなかった私にとっては羨ましい限りの写真です。

鉄道開業時からの古強者あり(5250)、戦後の車両不足の時期に大手私鉄・中小私鉄から流れてきた雑多な車両あり(4250・5370)、気動車改造のクハあり(40,250,270)、他社の中古車による増備車あり(5260,5270,260,270)、親会社からのお下がりがあり(60,3310,3770)、ノーシルノーヘッダーの近代的?な車両あり(290)と、上田交通はそのラインナップにおいて、当時の地方私鉄の典型といってもよく、そしてそれらが全て揃っているという意味では稀有な存在であったと思います。
当時のRMでは「今からカエル」などと車両置き換えと青ガエルをかけて、魅力的な車両が大手私鉄のつまらない車両に代わってしまうことを(当時は長電も、松本もカエルの独壇場でしたので)皮肉めいた口調で描かれていましたが、いまとなってはそのカエルですら、わずかに熊本に残るのみ。
ずいぶん昔の話になってしまったんですねえ。(しみじみ)
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Unknown (おっとっと)
2012-11-01 11:23:49
>はいらーあるさま
 (上のつづきです)
 ただ、絶対数は今と比較すると圧倒的に少なかったはずです。昇圧直前の8月でも、自分以外のヲタは他に2~3人しか見かけず、しかも車で押しかけてゴツイ三脚や脚立を……という向きは皆無、もっぱら電車で移動し思い思いにパチパチ撮るという風情の方ばかりでした。上田原の車庫も、備え付けのノートに記帳するのみで、中学・高校生であってもウェルカムだったのは嬉しかったですね……。大体この頃が、ローカル私鉄趣味がごくマイナーな一部のファンの嗜みに過ぎず、鉄道会社ものんびりと自然体で受け容れて下さっていた時代の一番最後だったのかも知れません。圧倒的多数のヲタにとっては、国鉄消滅前最後の頃につき、名だたるネームドトレインや所謂ジョイフルトレインの類を撮りまくることで精一杯だったのでしょう。その後、JRが趣味的に奥深さを失っていった結果、マイナーだったはずの私鉄のイベントにゴツい三脚やら何やらが並ぶようになったわけですが、総じて地方私鉄をはじめ本来マイナー存在なに関する良質のコンテンツを活字やネットに発表されている方は、多かれ少なかれ80年代の上田などに激しくインスパイアされて以来、その方面についての関心を持続されている方が多いですね……。
 それにしても、そんな感じでカエルを揶揄して煽るのもまたRMなるかな、という感じですね (笑)。それと同じことがいま、東急1000・8000系列で置き換えられて行く地方民鉄をめぐる論調にも現れているような気がします。釣掛・カエル・ステンレスカーのいずれにしてもモノとしての魅力は絶大なのですから、一時の煽りに関係なくコツコツと撮るのがベスト……ということを、自戒を込めて思う次第です (実際私も、やがて大学受験→90年代に非鉄バックパッカー&山屋だったこともあり、昇圧後カエル時代の上田は撮っていませんので ^^;;)。
 しかしまぁホント、こんなことをつらつら回想するほどに、いつの間にか80年代は遠くなってしまったものですね……。怪社の若い社員が「昭和時代」などと平気で口走るのを苦々しく聞く今日この頃です (頭の中は未だに半分昭和ですので……爆)。
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Unknown (おっとっと)
2012-11-01 11:24:13
>はいらーあるさま
 こんにちは、コメントどうもありがとうございます!
 秘蔵の上田交通写真、ポジフィルムですので暗部がツブれておりますが、お楽しみ頂き幸いです~m(_ _)m
 当時のRMといえば、ドドーンとしたカラーグラフの煽り記事中心で細かい情報が少なく (今もそうですね ^^;)、しかも高かったため、貧乏中学生(しかも高校受験直前 @o@) だった私はとても手を出せず、今になって「へぇ~そんな特集があったのか」と再認識した次第です (笑)。そんな私の、ローカル私鉄に関する当時の知識源はといえば、もっぱら保育社カラーブックスとRP誌のローカル私鉄特集号でしたが、やはり上田に関する部分は激しく刮目しながら眺め、かくも魅惑あふれる電車が多様にひしめくパラダイスがあるのか!と心震えたものです。本来であればをなごに執着し始める中二病な思春期に、ブスでムカツク奴ばかりであった中学校の女子には一切目もくれず、ヒマさえあればひたすら「上田!上田!」(あと名鉄揖斐谷汲線も ^^;) と思い続けていた結果、今やこんなブログで自家発電を続ける身となってしまったわけですが (笑)、多かれ少なかれ当時の上田交通の情景を念頭に置いてローカル私鉄趣味や模型づくりに勤しんでおられる方はいらっしゃるのだろうと思いますね……。
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