いろいろ新ネタを撮り貯めている中、放っておくと約半年前とか約1年前の記録となってしまいかねない画像も結構あるのですが、私自身の備忘録として一通りアップを完結させたい……ということで、1年前の4月下旬に周遊した中京圏での見聞録の続きです (滝汗)。
さて、全国各地には単一の路線であっても起点と終点では何もかも雰囲気が異なる路線がありますが、名鉄広見線はその中の代表的なものの一つでしょう。ベッドタウンの足として4両編成が15分間隔で走るかと思えば、途中の新可児でスイッチバックした後の末端区間は青息吐息のローカル線、しかも近年は新可児駅構内に中間改札まで出現し、完全に独立したワンマン運転系統として封じ込められているという……。勿論、そんな路線の存在は、ここ10数年来クルマ社会に抗えず末端ローカル線の整理を進めて来た名鉄にとって頭が痛いところでしょう。
とはいえ、単に遠来のファンの視点から見ますと、昭和の名鉄の雰囲気がそっくりそのまま残された駅・線路と、いつの間にか最古参車両となってしまった6000系初期車(パノ7000系近似窓♪)が総合的に醸し出す侘び寂びな雰囲気ゆえ、まさに昭和50~60年代の名鉄へとタイムマシンに乗って旅をしているかのような気分になります (*^^*)。うーむ、かつて半鋼製AL車を思慕し続けた1980年代、6000系が(ある意味当然のように)現れようものなら「○ソ6000要らねぇ!」と内心悪態をついたものですが (ガラが悪過ぎる地域で育ったもので失礼 ^^;)、今やそんな6000系の、不思議と重厚さと甲高さが入り交じった直流モーター音を愛でながら、ガラ空きの車内や窓外の田園風景を眺めているだけで心安らぐとは……我ながらつくづくヲッサンになってしまったものです。
そして、こんな従来当たり前過ぎた光景も、実は名鉄の辛うじての経営判断によって成り立っていることを思うにつけ、何度も通ってやりたいものだと思うのですが、遠来の一個人の努力でどうなるわけでも無し。かつては大名古屋ステーションからもSR車の直通列車が到達した御嵩駅が、実は本当に零細な1面1線の終着駅に過ぎないことを目の当たりにするにつけ、広見線末端区間の今後に改めて一抹の不安を感じつつ、新可児へと戻ったのでした……。
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