井の頭線3000系という車両は、まぁひとくちに言えば、本来ならば小田急井の頭線になるべきであった異端路線に高度成長期以後連綿と投入され続けた、直流モーターのステンレスカーということになりましょう。しかしそれだけに、本来であれば形態や性能が結構異なるために別形式を構成しても良さそうな車両が、一つの形式に押し込められている感があります。大学に入って以来今まで井の頭線に結構お世話になっている私としましては、未だに1962年製・片開き扉の一次車と、1987年に新造された最終ロット(28・29F)が同じ車両であるとは思えません (笑)。一次車なんて、80年代末の時点でも既に相当車内がボロく、余程のことがない限り日中や夕方は富士見ヶ丘に引っ込んでいましたので、朝ラッシュ時の固定運用に合わせるのでなければ滅多に乗れなかったのを思い出します(井の頭時代は10回も乗っていないはず)。とはいえだからこそ、本線2000系をステンレスカーにした雰囲気の大窓・片開き扉ボディには、箱入り娘ならぬ箱入り婆というレアさを見出し、ごく稀に当たるのを楽しみにしていたものです。
そんな3000系一次車は、8000系(8800番台)と名前を変えて浅野川線に移って早くも約20年。訪れようと思えばいつでも訪れて楽しむことが出来たはずですが、単に福井や富山、あるいは石川線を優先させてしまったのみならず、8800が全く走らない可能性もゼロではないことから、結局尻込みしておりました……。しかしだからこそ、北陸新幹線の開業と鉄コレ21弾としてのリリースが背中を押した、という感じです。もし8800に遭遇し損ねたとしても、まぁ北陸新幹線に乗って金沢を一目見る、ということ自体が悪くない話ですので、「良きに計らえ!」ということで……(^^;
とまぁこんな感じで割り切っていたからこそ、運命の神は8800を運用に回してくれたのでしょう♪ 橋を渡る姿に内灘到着シーンと、もうフィーバーです (笑)。そして内灘からの帰りもこの編成に乗車! 一応車内レイアウト・デザインとしては京王→銚子2000系と近似で、別に特異ではないと言ってしまえばそれまでですが、浅野川線は日中でも結構利用客が多く、金沢に近づくにつれて井の頭線時代を彷彿とさせるような車内の賑わいとなっていったことに「登場半世紀を経てもなお都市近郊輸送に大活躍できて幸せなことよのぅ……」と思ったのでした。
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