地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第八ジャカルタ炎鉄録 (10) 東独製?荷物車

2016-10-21 12:00:00 | インドネシアの鉄道


 先日、パクアン急行様のブログを拝見していたところ、先日ASEAN域内での鉄道協力に関する会議が開催され、その席上でインドネシアの中古車両をミャンマー国鉄に供与する旨が決まったとか!! しかもその数は、アメ罐CC201をそれなりに、そして客車は600両とか!! ミャンマー国鉄機関車標準色の茶色+ベージュ+紺帯に身を包んだCC201が、これまたミャンマー国鉄急行色を纏ったINKA客車ヲジャラジャラ連ねてズッコンバッコンと走る姿は、今から想像するだけでもアツくなりますね……。あたかもKAIの客車が、スラバヤからヤンゴンに転勤された落花生。様を慕って移動するかのようです。
 しかし問題は、ココロは熱くなろうとも、車内まで蒸し暑すぎて悶死状態となっては元も子もないこと。ここ数年来インドネシアで展開されてきた全車冷房化の流れの中で、3等エコノミ客車ですらハメ殺しの1段固定窓に改造されつつあったのですが、そんな車両をミャンマーに送り込んで非冷房車として運用しようものなら、JRCキハ40系列の下段窓が開かない状態にじっと耐えているミャンマー人でさえも、即座に音を上げてしまうに違いありません。また、インドネシアの客車は車両限界がユルいためもあってかなり大柄であり、屋根の高さが無事ミャンマーの車両限界をパスするのかどうか、細かい諸元表が手許にあるわけでもないため不明です。
 そこで、INKA客車のミャンマー入りにあたっては、屋根や窓の改造が必須なのではないかと愚考しますが、果たして如何に……。



 なお、古くなった客車を譲渡しようとしても、さすがに1950年代・東ドイツ製と推測されるトンガリ屋根客車を譲渡することは多分ないのでしょう。
 というわけで、去る8月のジャカルタ訪問時、機関車の次位に無人の客車(アリンアリン)を連結する措置が解除されて編成から外されていたランカス鈍行用荷物車も、ミャンマーに行くことは有り得ないのだろうなぁ……と。
 かつてボロ客車の巣窟であったランカス鈍行にあって、東ドイツ製 (?) の荷物車は行商客用の荷物、そして客車に乗りそびれた大量の立ち客を乗せ、ひときわボロい存在感を醸し出していたものですが(私も乗りました♪)、客車の冷房化とアリンアリン連結措置、そしてそれに対応する荷物車の行商客車としての供用停止により、ここ1~2年ほどランカス鈍行の荷物車は、単に新塗装に変わっただけで一切の窓と扉を封じられた存在となっていました。しかし今やその役割も消えて、まとめてランカスビトゥンの側線に放置されている光景こそいと哀しけれ……。まさに一つの時代の終焉を見るかのようであり、かつ東ドイツ製客車と新塗装の組み合わせもどうやら短いもので終わりそうだということを示唆しているようにも思われました(一般客車も大量の新車が計画されており、東独製、さらには1960年代の国産車も一掃されて行くことでしょう)。
 もっとも、こんな光景に感傷を抱く日本人は他に、ランカス鈍行旅でご一緒したパクアン急行様、あるいはKAI研究不動の大御所でおられる落花生。様など、ごく僅かしかいらっしゃらないのでしょうが……。マニアックすぎてスミマセン (^^;

 (1枚目) B 0 58 01。このグループでは珍しく雨樋あり。
 (2枚目) B 0 58 04。ツルツル張り上げ屋根でドア窓あり。

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