地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中山道バス散歩 (4) 長久保のJRバス

2017-05-19 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 千曲バスのエルガミオやレインボー (ジェイ・バス製ボディ) が時折走り去るのを眺めながら行く中山道の旅路は、浅間山をほどほどの距離から望む最後の場所である芦田 (立科町役場) 界隈で終わり、緩く長く続く坂を登って笠取峠を越えると、JRバス関東の領域に入ります。
 現行のJTB時刻表を見ますと、このエリアのJRバスには「和田峠北線」という名称がついており、上田~大屋~丸子といった上田交通ヲタには嬉しい土地を経て、山間の宿場町である長久保までが基幹路線として設定されています。そして長久保からは、和田宿を経て霧ヶ峰の山裾の男女倉に至るまでの路線と、白樺湖の手前にあたる姫木平に至るまでの路線が、地元・長和町のコミュニティバス (巡回バス) として運行されています。



 このうち上田~長久保~和田宿ルートにつきましては、1980年代の時刻表を見れば、和田峠を越えて下諏訪まで運行されていた (上田~下諏訪直通) ことが一目瞭然です。中山道の最高地点である和田峠 (道路で標高約1500m、徒歩で1605m)を挟んで、公共交通が途絶えていることこそ悲しけれ……。もっとも、長和町のコミバス運行は依然としてJRバス関東が受託しており、だからこそ現在でもコミバスが「和田峠北線」を名乗っているという次第です。あるいは、路線の営業権そのものはJRバスが維持したまま、長和町や長野県の補助金とともに事実上コミバス化して、和田峠北線の末端部分の運行を維持しているということなのかも知れません。
 というわけで、今や閑散とした長久保宿の中心にあるバスターミナル=JRバス長久保営業所は、そんな各方面からのバスが集う中心地となっており、本当に人口密度が低い山村エリアにしては意外にも頻繁に (?) バスが姿を現します。このうち、大型車が入る上田・大屋行きは主にエアロスターの天下となっているそうですが、私が訪れたときに昼寝をしていたのは西工ボディが昼寝をしていました。そして、長和町巡回バスとして運行されている車両はガラポンくじ状態! 2枚目の画像は、姫木平中央から戻ってきた西工ボディで、どこまでも100円乗り放題のコミバスでこんな車両にありつければ相当ラッキーな話ではないか?!と思ったのでした。

登場から四半世紀を過ぎたキハ111・112

2017-05-18 00:00:00 | JR発足後の車両


 去る黄金週間に信州の中山道を徒歩で旅し、たまに出会う鉄道車両やバスをパチパチ撮ったことで、そういえば「信濃の国」(長野県歌) ってどういう歌だっけ……と思いググってみたところ、勿論すぐにYou Tubeの動画が出て来るわけですが、とりわけ「アイドルマスター版信濃の国」が余りにも良く出来ていて脳裏から離れません……(笑)。
 それはさておき、中山道を歩いていると岩村田駅の南で小海線の踏切を渡りますので、折角の機会につき少々待って撮ってみたのですが、こういうときにイキナリ小海線名物・復活国鉄色に当たる確率は低いに決まっていますね……。ごくフツーのキハ111・112でしたので、内心「何事もうまく行くわけではないな」と思ったのでした (^^;)。
 


 そしてそもそも個人的には、こののっぺりし過ぎたカタチと、どうもイマイチなカラーリングが相俟って、キハ100・110系列は余り好きな車両ではなかったりします。気がついてみれば、当ブログでご紹介した機会も極めて少ないという……。今回の旅で撮ったのは1カットのみにつき、過去撮影した標準塗装車の画像はないのかということでHDを漁ったものの、標準塗装車を過去まともに撮影したのは、震災数ヶ月後に三陸を旅した際の宮古駅でのカットしかないことが発覚しました (滝汗)。このことは即ち、自宅からそう遠くない八高線ですら全然撮っていないことを意味しておりまして、去る3月にたまたまキハ38塗装車を一発で撮影出来てしまったのは本当に偶然です。 
 そんなキハ100・110系列も、何といつの間にか登場から四半世紀を過ぎているとのことで、全然古さを感じないだけに (と申しますか、登場したときから新しさや古さを超越したデザインに見えただけに)、全く以て意外な気分です。有り体に申しまして、キハ100・110よりもキハE120・E130やEV-E301の方がデザイン的に面白みがあると思っておりますので、既に古株に入りつつある (?) この車両が今後減り始めてもわざわざ撮りに行くかどうか、内心疑問符がありますが、それでは逆に余りにも撮らなさすぎという気もしますので、撮る機会があれば忘れずに記録しようと思っているところです。

中山道バス散歩 (3) 千曲バス中仙道線

2017-05-17 00:29:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 御代田駅でSLを眺め、走り去るしな鉄115系を見送りますと、中山道は引き続き長く緩やか~な坂を下り、1時間半~2時間の歩きで佐久地方の都会・岩村田に到着します。小海線は中坊の頃に18きっぷで乗って以来御無沙汰な者にとって、岩村田という地名は単なる小海線の交換可能駅という記憶しかなかったのですが、歩いて見るとここは歴史的には街道が交差する「大都会」であったことが一目瞭然で、だからこそ街のすぐそばに新幹線の佐久平駅が (長年の特急停車駅にして分岐駅であった小諸を差し置いて) 設置されたのだなぁ……ということが良く分かります。もっとも、佐久平駅周辺が余りにも急激に発展しつつある結果、岩村田の中心街はすっかり寂れてしまい、街に出入りする千曲バスは街そのものよりも佐久平駅と浅間病院 (佐久地域最大の病院?) が最大の目的地になってしまっているのは、全国共通の地方の現状というものでしょうか。



 というわけで、病院通いの人が最大の顧客となっているバス路線は往々にして土日全面運休となっており、御代田と岩村田を結ぶバスはご多分に漏れずそうでした。しかし、岩村田から中山道を西に立科町役場まで、かつての宿場町をつないで走る、その名もズバリ「中仙道線」は、土曜休日でも平日と余り変わらない本数を走らせており、のんびり歩いている途中ですれ違うのが楽しみでありました。
 しかし……ネットで画像検索すると出て来る千曲バスの画像はシブい車両がゴロゴロであるというのに、最近は自治体から補助金をもらってバリアフリー化のペースを早めているためでしょうか、すれ違ったのはエルガミオばっかり……(-_-;;)。嗚呼、車種的には何というつまらなさ……。勿論,利用者にとっては福音であることは百も承知で、少しでも新しいバスを走らせることが利用客へのサービスなのだということは理解しております (^_^;)。恐らく、最近は大手事業者がエルガミオの中古も大量に放出するようになり、車両を更新して燃費を減らしたい地方のバス業者にとっても格好のチャンスが訪れているということなのかも知れません。
 なお、1枚目は望月宿の中心部を走行中、2枚目は八幡宿の街外れを走行中のシーンです。


 折返点の立科町役場 (芦田宿) を出発したばかりの日野レインボー……ですが、まぁ最近の車両はジェイ・バス製ボディですので、エルガミオとの違いは余りありませんなぁ……(苦笑)。


御代田駅で保存される麗しのD51 787

2017-05-16 01:32:00 | 保存・園内・特殊車両


 先日、静岡ホビーショウに合わせて鉄模各社の新製品発表がありましたが、碓氷峠廃止20周年記念に合わせたKATOの大攻勢には目を見張るばかりです。個人的には、碓氷峠関連は長年余り関心がなかったものの (何せ、特急あさま・白山には乗る金がなかった貧乏人だったもので ^^; ……また、大きく脚光を浴びた90年代に非鉄だったことも一因です)、一度徒歩旅で旧道の碓氷峠を越えてしまったからには、街道~鉄道を通じた歴史浪漫にのめり込まざるを得ないわけで、何とも財布には危険な話です。したがって、余り模型いじりをするヒマもない中、なるべく節制しなければなりませんが、元・貧乏18きっぱーとしては、やはり長野115系1000番台改良版は気になります……。付属3連も新規に用意され、スカートを外さなくて良い新カプラーも魅力……。旧タイプを持っているのを一体どうすれば良いのやら……(甥っ子に譲渡か?)。



 それはさておき、中山道を歩いて出会った鉄道車両・バスを順番に載せる連載の続きとして、御代田駅のD51 787をアップしてみましょう。
 中軽井沢=沓掛宿から中山道に踏み出しますと、時折しな鉄115系のMT54サウンドやホイッスルを遠くに聴きながらも、基本的には線路とやや離れたところを進み、追分宿手前の1003m点からは千曲川渡河点の塩名田宿まで長~い下りに入ります。そこで、追分宿の西にある北国街道との分岐点「分去れの碑」からひたすら高原の風景を眺めながら下って行きますと、やがて浅間山を大きく望む御代田駅界隈に差しかかり (浅間山は近いところを歩いていても樹林に邪魔されて見えません。苦笑)、信越線=しな鉄に突き当たると地下道で横断することになります。
 その地下道から見て西寄り (=御代田駅構内の東外れ) に鎮座しているのが、D51 787。戦時型として製造され当初水戸に配置され、戦後しばらくしてから塩尻に転属、その後廃車となるまでひたすら木曽路で旅客・貨物を牽引し続けたとのことで、場所こそ違えど中山道筋には縁がある機関車ということになります。
 そんなD51 787、地元の保存会によって完璧に美しい姿を保っており、本当に惚れ惚れとするばかりです。公開日は限られており、普段は柵の上にデジカメを差し上げて撮るのみですが、それでもこのように素晴らしいシーンを眺めることが出来て満足満足♪ そして、もし今後動態保存SLを追加することになる場合、ひょっとするとこのD51 787にも白羽の矢が立つ可能性も無きにしも非ずなのではないか……と思ったのでした。

しなの鉄道115系2連を撮る@中軽井沢

2017-05-11 00:00:00 | 地方民鉄 (甲信)


 碓氷峠を越えて軽井沢界隈まで出て来ますと、そこは本来の信越線あらためしな鉄の領域となります。歩く旅をしていても、電車が行き交う光景を眼にするとホッとするのは、単に人里に出て来たというだけでなく、自分自身が鉄ヲタだからでもあるのでしょう。もっとも、元祖中山道は信越線や中央線などの開通によって廃れてしまい、歩いて旅するには非常にハードルが高くなりましたので (宿屋の確保がハラハラもの)、フクザツな気分をも抱かざるを得ないのですが……。それでも、忙しい日々の中にヒマを見つけて、途中まで歩いたところまでスッと戻り、再び歩き出すことが出来るのも、これまた鉄路の効用ではあります。



 というわけで、しな鉄末端区間 (とは余り書きたくないのですが……) の主力となっている115系2連を、中軽井沢でサクッと撮ってみました。昨年秋に中軽井沢駅=沓掛宿を区切り目として、去る黄金週間にここから再び歩き出すにあたり、まずは東京発朝イチの「はくたか」で軽井沢に着き、一駅だけ乗って下車したのですが、僅かな距離で230円の運賃はトホホ過ぎますので、軽井沢行きを一発撮ってから出場することでモトを取ろうとした次第です (←ケチ)。待つこと3分ほど……復活初代長野色がイキナリひょっこりやって来るのを期待していたのですが、小諸~軽井沢間でそれを期待するのも野暮というもので (笑)、とりあえずしな鉄標準色をバッチリ撮影して再び中山道を歩き出す記念としたのでした。
 それにしても、しな鉄115系のN模型は既にTomixブランドで出ていますが、裾絞り国鉄近郊形2連が本格的に鉄コレ化され始めたことからして、いずれこのしな鉄色2連が長野色2連ともどもリリースされるとしたら、間違いなくゲットですね……(*^^*)。