そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

裁判員制度に反対する

2008-06-02 | 政治と金

来年5月から、裁判員制度は始まる。国民の日常感覚を裁判に生かす趣旨のようであるが、いくら読んでもこの制度の趣旨がよく解らない。

現在の裁判制度には、日常感覚、一般社会常識が存在しないことを、司法が自ら告白したことに失笑を禁じ得ない。それでは一般社会人の日常感覚で、人を裁けるのか。

法律を全く勉強したこともなく、法律の概念すらないような状態で、人を裁きその量刑まで判断することが正当な行為になるのだろうか。拒否すると罰せられるようであるが、拒否して堂々と罰せられたい。

何の法的な知識も経験もない状況で、いくら罪人といえど(罪人かどうかも判断しなければならないのであるが)、人の一生を決定する判断を公権力が、一般人に強要するのは容認できな55 い。

検察から提出された資料の真贋性を、短期間の間に一般人の日常感覚に判断させて、冤罪が起きない保障はどこにもない。検察側と弁護側に能力に大きな差がある時には、日常感覚は説明の上手い方になびく。当然のことである。

被告人から逆恨みを受けないとも限らない。被告人に面と向かって犯罪の重さを知らしめることを、何故一般人がやらなければならないのか理解に苦しむ。

弁護士一同が、ほぼこぞって賛成していることも不自然である。裁判官や検事は一般社会からかけ離れた存在である。その点弁護人は、社会の現実を見ているために、検事に対して有利に動ける判断しているのであろうか。

この制度は、どう見ても裁判制度、あるいは裁判官がが問題を抱えていて、それを一般人に押し付けようとしているとしか思えない。なら、裁判制度や裁判官の資質の問題ではないだろうか。裁判官に、一般社会常識、感覚を持たせることがもっとも重要なことである。

いずれにしても、裁判員制度は理解できない。指名されると、私は拒否するつもりでいる。、

コメント (1)
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