そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

海部俊樹という混迷の象徴、結局は自民党の大波の軍門に下ったお人よし

2022-01-14 | 国際・政治

海部俊樹が亡くなった。自民党の汚濁を三木武夫ともども清掃役として、良いように利用された。首相の座を与えられて大きくなったと自惚れたが結局は、自民党の良心とおだてられ捨てられた海部俊樹である。
クリーンイメージは政治家として押しがなく、政治基盤や政治信条の弱さでもあった。湾岸戦争時、パパブッシュに出兵を請われ断り金を出したが、戦後とはいえ魚雷除去の掃海艇の初の自衛隊海外出兵をした。この時のちぐはぐな判断は海部を物語る典型である。
リクルート事件に関わらなかった数少ない政治家として、自民党は海部を総理に据えた。世論の声を分散させるのに格好の男だった。お目付け役として若い小沢一郎を自民党は幹事長として付けたが、これがその後の迷走の基もなった。
自民党が自社さ政権を模索、社会党の村山富市に投票を決めたことに反発離党したが、後続者がほとんど出なかったので、その後幾つかの政党を、小沢一郎と作っては解体をし迷走することになる。
奥さんを連れて行く公式の場などに出ることが多く女性からの評判が高かった。内閣不信任決議を貰わなかった内閣としては最長だったり。日中友好に尽力したと、今日も中国政府のコメントがあったりと、人間としての評判は高きものがあった。政治家に向いていないお人よしを自民党は大いに利用し、そして捨てた。そして復党したのも海部らしい。
政界引退後には、自衛隊の海外派遣の先鞭をつけたと問われ、「何処かの国のために地球の裏側に行くことは、憲法9条が禁止している。」と反論している。集団的自衛権を明確に否定している。
馬鹿よりはうんとましであろうが、こんな人物を指導者として抱いていた国は不幸である。
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