名古屋でCOP10の開催が終了した。生物資源の所有権が先進国と途上国間で大きな論争として争われた。その根幹をなすのが「生物の多様性」である。世界各地で、様々な動物や生物がその生息域を懸命に確保し、種を保っている。世界各地の気候風土は均一ではなく、様々な形態をで成り立っている。砂漠もあれば湿地帯もあり、酷暑の森林もあれば極寒の平原もある。
それらの地形や気候が様々な生命を育んで来たのである。一概に、生産性や効率などで推し量ることのできない形態を、かなり幅のある言葉で言い表したのが生物の「多様性」である。多様であるのは理由があり意味がある。
人類は、7万5千年ほど前にアフリカを出て世界各地に広がり、多くの人種を各地に定着させた。言葉も顔つきも異なり、当然食べ物も異なる。それは時には文化と呼ばれたりもするが、多様な人種や文化、歴史や制度を地域で育ててきたのである。
農業も同じである。世界各地で異なる文化と風土が多様な農業形態、多様な食体系を育んできた。日本人に乳糖耐性因子が多く牛乳の飲めない人がいることや、オーストラリアのアボリジニは紫外線に強い遺伝子を繋いでいることなど好例である。
東南アジアのコメは、高温多湿の風土によって改良を重ねながらも、モーンスーン地域の人類の胃腑を満たしてきた。天に祈り地に感謝しながら、特有の文化としてコメが人類を育んできたと言える。生産効率や価格が育んだものではない。
工業製品は、労働力と土地と資本さえあれば世界各地で展開できる。それこそ価格だけを求めて、生産拠点を探せばいいのである。工業製品は、農産物と異なり必要不可欠なものではない。なくても過ごせるものである。
ところが農産物=食料は人が生きていくのに欠かすことが出来ないものである。かといって商工業製品のように、数倍消費できるものでもない。食糧は、必要量の倍も食べることが出来ないが、30%も減らすこともできないものである。
均一の価値観で評価するTPPの理念は、農産物はそぐわない。農業こそ「多様性」が必要であり、世界各地で風土に即した形態をお互いに認めなければならない。戸々の農家も経営形態が様々であり、同じ物を作っているようでも、極めて多様に富んでいるものである。こうしたことを認めないTPP交渉からは、日本は一早く撤退するべきである。