これは最近ネット上で見た衝撃的な写真である。左は30年前の女子社員の入社式であり、右は7年前のものである。特に女性は時代が進んで自由になった、社会への道が開けたと思っていたが、これでは全く逆としか思えない。
昭和という時代、女性社員は総合職という門が狭く左の写真の彼女たちは色とりどりの服で明るく自由に見えるが、単なるお茶くみの人事として採用されることが多かった。結婚後は退社して夫を支えるという事では、彼女たちは差別されていたともいえよう。
右の写真は全員がリクルートスーツに身を固め、皆同じ格好で起立し訓示か挨拶かを聞いているのだろう。逞しくも思えはするが、北朝鮮のマスゲームや軍隊の行進姿のようにも見えるのは穿った見方か。現代の女性たちは、いや男性も含めてより自由になったのか、平等になったかは、制度の改革だけでは進むことができないことを物語っている気がしてならない。
現代の女性たちは、個性の発揮と仕事人としての発揚が見られらくもないが、どうもしっくりこない。下の写真は今年の仮入社の様子であるが、さらに進んで気味が悪く思える。男も含め皆同じ格好である。この世代に自民党支持者が急激に増えているのも解るような気がする。組織に従順になり社会に溶け込もうとする意思が、政治的無関心となって現れるのではないか。
少し前になるが、私たちの所には獣医学科の学生が大動物の実習に毎年大勢やってくる。日本で最も受け入れている組合でもあった。当然女性も多いのであるが、仕事柄目的意識の強い女性が多いため、なおさらこの写真には違和感がある。
私たちの時代でも、学生時代長髪でバンカラな男たちも就職の面接には背広姿になってはいたが、現在のようなリクルート一色の染まったような姿にはなってはいなかった。特に女性については、総合職を目指す人たちも、もっと自由でななかったかと思う。
皆同じでなければならない、社会に従順でなければならない、政治にモノ申してはならないという、体制側の男女を含めた人間が増産される姿は何とも言い難いものである。
1960年代頃までは農家・家業を継いだり徒弟で大工の見習いをやったり大企業でも養成工や養成社員を受け入れていた。猫も杓子も大学に行く必要は全く無かったのである。貧しかったが心は自由だった。
かつて窮民のために自身の財産と命を投げ打った大塩平八郎や田中正造などはもう二度と日本には現れれないのだろうか。全て、「自分さえ金を稼ぎ、自分がよければよい」の打算調子モンだらけの日本社会というのが現在のそしてこれからの日本ということなのだろうか。
私がこの一員だったら、
「小学校で"世界にひとつだけの花"とか歌わしといて、社会出たら早々にこうか、"偽善"とはこういうモノや!と、若者に教え込むための国ぐるみの壮大な計画かネ?」とか、考えてそう、、、やっぱりそういうこと考えるヒトは、この集合写真にそもそも参加できませんかネ?(^_^;)
一刻も早くアベシンゾ(およびジミンコーメ)が消え去ることを望む。勿論、あのテンクラコイズミ不ジュンイチロとタケナカヘーゾも消え去って欲しいのは当然である。
音楽業界も衰退しているような気がします。多様性がないですね。