原節子が亡くなった。正確に言えば、2カ月ほど前に亡くなっていた。小津安二郎の主要な作品には必ず出演し銀幕を飾っていた。名優であり時代を飾った清楚な女優である。耳に心地よい声が素晴らしく、引いたところは昭和の女性であったのかもしれない。
生涯未婚だった小津と相思相愛だった。小津は60歳の誕生日に死亡したが、彼女はその葬儀の場から永久に消えてしまった。原節子の心根というものを感じるものである。
小津作品は若いころは全く理解できなった。淡々とした時間が流れるだけの退屈な作品が多く、スト-リーに変化があるわけではない。未熟者には理解できない映画であった。
東京物語が、世界の映画関係者の推薦する第一位の作品となっているのを、最近になって理解できるようになった。俳優の小さなしぐさや服装など、画面の隅々まで計算された作品である。もうこのような時代では来ないといえもするが、技術が進み時間が早く流れることで、小津作品に置き去りにしてきたことに気が付くのである。
一昨日は、三島由紀夫が防衛庁で自害した日であった。三島はこの時45歳であった。あれから45年も経た。生きていれば三島は90歳になる。三島の文学作品には、人の琴線に触れる美学がある。三島が平凡パンチで自身の筋肉美を撮らせ、掲載したのには少々驚かされた。それまでの文学者は、痩身で蒼白のひ弱なものと相場が決まっていたからである。
全共闘と論争にはかなり共通点があった。左右の思想を越えた、三島の生きる現実の場所探しの一つ、模索で阿あったいえよう。しかし三島の美学は、偏狭で現実社会に反映する場所がなかった。
ドナルド・キーン氏が、「三島は老いるのが怖かったのではないか」と自害の理由を述べている。三島が作ったミリタリールックの盾の会は、お洒落ではあったが三島が吐く言葉ほど戦闘を意識したものではなかった。
三島は日本は天皇を抱く神の国のドグマから抜けることが出来なかった、偏狭な人物であった。同類のドグマ、軍国主義者で国粋主義者の、老醜を晒す石原慎太郎に比べれば、自身の美学を貫いた矜持は評価されよう。
原節子も老醜を晒すことが耐えられなかったのではないか。彼女の映像は引退した42歳以前のものしか存在しない。そうした意味でも見事な人生といえる。彼女の冥福を祈りたい。
生涯未婚だった小津と相思相愛だった。小津は60歳の誕生日に死亡したが、彼女はその葬儀の場から永久に消えてしまった。原節子の心根というものを感じるものである。
小津作品は若いころは全く理解できなった。淡々とした時間が流れるだけの退屈な作品が多く、スト-リーに変化があるわけではない。未熟者には理解できない映画であった。
東京物語が、世界の映画関係者の推薦する第一位の作品となっているのを、最近になって理解できるようになった。俳優の小さなしぐさや服装など、画面の隅々まで計算された作品である。もうこのような時代では来ないといえもするが、技術が進み時間が早く流れることで、小津作品に置き去りにしてきたことに気が付くのである。
一昨日は、三島由紀夫が防衛庁で自害した日であった。三島はこの時45歳であった。あれから45年も経た。生きていれば三島は90歳になる。三島の文学作品には、人の琴線に触れる美学がある。三島が平凡パンチで自身の筋肉美を撮らせ、掲載したのには少々驚かされた。それまでの文学者は、痩身で蒼白のひ弱なものと相場が決まっていたからである。
全共闘と論争にはかなり共通点があった。左右の思想を越えた、三島の生きる現実の場所探しの一つ、模索で阿あったいえよう。しかし三島の美学は、偏狭で現実社会に反映する場所がなかった。
ドナルド・キーン氏が、「三島は老いるのが怖かったのではないか」と自害の理由を述べている。三島が作ったミリタリールックの盾の会は、お洒落ではあったが三島が吐く言葉ほど戦闘を意識したものではなかった。
三島は日本は天皇を抱く神の国のドグマから抜けることが出来なかった、偏狭な人物であった。同類のドグマ、軍国主義者で国粋主義者の、老醜を晒す石原慎太郎に比べれば、自身の美学を貫いた矜持は評価されよう。
原節子も老醜を晒すことが耐えられなかったのではないか。彼女の映像は引退した42歳以前のものしか存在しない。そうした意味でも見事な人生といえる。彼女の冥福を祈りたい。