矢張りノーベル平和賞が、中国の作家劉暁波氏に与えられた。中国の民主化運動の象徴的存在である。これで中国は、自らの体制を非難される人物として、ダライ・ラマと今回の劉暁波氏の二人の人物がノーベル平和賞を受賞することになった。
当然のことながら、中国は極めて異常と思われる強い、拒否反応でこれに応じている。国内で見ることが出来ろ海外のニュースも、ノーベル賞の発表になると遮断してしまう。真っ黒な画面になってしまっている。ネット上でも素早く削除されている。中国に姿勢より彼らの異常な反応と、報道管制の恐ろしさを今更感じるところである。
中国政府は「国家の法律に反した人物である。ノーベル平和賞の趣旨に反する」とコメントしている。ノーベル平和賞の趣旨に反するのではなく、中国共産党の趣旨に反するのである。9月30日にも、このブログで述べたことであるが、一党独裁国家の体制側の低い意識の一面性を伺うことが出来る。
中国は劉暁波氏がノーベル賞を受賞するようだと重大な外交問題になると、事前に圧力をかけている。中国は劉暁波氏の受賞を受けて、ノールウェイに対して何らかの外交的な対応をするつもりのようである。ノーベル賞選考委員会は、政府とは独立した組織であると反論している。このことが中国は理解できな。
尖閣で漁船の船長が拿捕されると、学生の入国を止めさせたり輸出入規制をしたり、商社マンを平気で拘束する。全く関係ないことでも効果があれば何でもやる。共産党独裁国家では、権力が一極に集中しているからこうしたことができりる。毒入りギョーザもほとぼりがさめる頃に、犯人が見つかりましたと突き出す。本当かどうか解らない。
統制する国家としては有利なこともある。金融危機が起きても、殆ど国営の銀行は容易に管理することが出来る。メディア対策も同じである。容易に統制をかけることが出来る。こうしたことへに危機感を持った民主化運動の指導者を収監したのである。
近代国家は権力を分散することで、権力をチェックし監視する体制を作り上げてきた。中国幹部はそのことが理解できていないし、権力の集中することの利点を経済成長のただなかで享受している。その一方で言論の弾圧制限や、情報の制限、そして少数民族の弾圧と取り込みを行っている。今回の劉暁波氏の受賞が民主化へのきっかけになればと思う。