そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ軟弱だろ

2007-05-10 | TPP

今放映されている、NHK朝の連続ドラマ「どんと晴れ」を見て、30年ほど前になるだろうか「細うで繁盛記」を思い出した。いずれもが、旅館の女将として主人公の女性が、難関を越えて建て直すドラマである。

「細うで繁盛記」ではそれまでは、お嬢さん女優として目鼻立ちがはっきりした富Photo_117士真奈美が、ぶ厚いメガネを付けて着膨れ衣装の静岡弁丸出しで、主人公の新玉三千代を徹底的にいびるのである。

多くの視聴者が、富士真奈美に嫌悪感を抱き、新玉三千代を哀れむ同情心を抱いたものである。富士真奈美が失敗するのを、ブラウン管の前で今か今かと待ちながら見ていたものである。

ところが、この朝ドラに限らず最近のドラマの中に、徹底的に主人公をいびり倒す悪人キャラクターが登場しない。いびることがあっても、多少の理由を視聴者に示しながら「悪人」の理由付けを必ずどこかで行なっている。

要するに、いびり役のタレントが別のドラマに出演する機会を失わないようにして いるのである。タレント個人のために徹底した悪人を、ストーリーの中に盛り込まないのである。

限られた数のタレントの中でお互いが傷つかないように、それぞれのキャラクターをいたわりあいながらドラマを構成しているのである。

バラエティー番組に出演しても、自分を出して喋る機会を失わないための、知恵のようの思える。

この構図はどこか大相撲に酷似する。お互いが、限られた数の中で傷つけあうことがないように、阿吽の呼吸の中で取り組むのである。

今年度、映画「バベル」でアカデミー賞助演女優賞にノミネイトされた、菊池凛子は「与えられた役で女優としての自分を評価されたいと」発言していた。自分に対する、プライベートを含んだ評価に対する、彼女なりの回答である。

役者根性と呼ぶには少々古臭い表現であるかもしれないが、日本の文化そのものが馴れ合いと「なぁ、なぁ」社会のぬるま湯に立ちすくむのでいる。

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