今日6月23日は、太平洋戦争で組織的な戦闘が終わった日として、沖縄慰霊の日とされている。牛島中将が摩文仁で自決した翌日である。およそ戦闘とは言えないような事態に堕ちいって一月後である。米軍上陸から3カ月経っていない。この間に、20万人の人が死んだ。
当地に、奇跡的にこの沖縄戦を生き残った兵士がいる。聞き取りに数時間かけたが、それでも十分ではない。この元兵士が投降したのが、10月に入ってからである。軍としての機能、指示系統は早くから失くしていたのであるが、逃げ伸びていた人たちは終戦後も戦っていたのである。
沖縄慰霊の日は、集団的な戦闘がjなくなった日と必ず注釈がつく。戦闘を放棄した司令官が自決した翌日とは誰も言わないが、米軍上陸一月後には勝敗は決していたのであるが、これを認め敗北宣言をしていれば、死者の数も格段に少なかったはずである。何よりも民間人の死者は相当救えたはずである。
沖縄の地上戦は悲惨なものであった。戦闘員だけでなく、一般人が多く死亡したが、その7割は女性である。そして多くの子どもたちも含まれる。終戦を知らず逃げていたのは、多くは下級兵士である。いつの時代にも犠牲になるのは弱者である。
沖縄は、終戦後も20年以上にわたって、アメリカの支配下にあった。アメリカが、自らの基地を置くには極めて都合のいい場所であったのである。反対運動などもあって日本国内の多くの基地も、沖縄に移転している。
民主党政権は、今日の日に党首である菅首相を送り込んだ。沖縄県民に謝罪をしたが、基地の数や規模がなくなるわけではない。沖縄の民意をくみ取ると言っていたが、今回の参議院選挙には、政権与党である民主党は候補を立てることもできない。政権を獲った驕りが感じられる。
文明滅亡時には食糧不足から女や子供が食われたことが明らかになってきました。
記憶が薄れたといえ、沖縄戦当時の兵士の体験談は貴重な話と思います。4ヶ月間ほど生死の狭間を生き延びたことは記憶に残っていても棺桶まで密かに持って行くのかも知れません。
知覧基地からの出兵した韓国人の特攻兵、中国からの帰国子女。起きてしまった戦争という愚かな事実は時代を超えて宗教や民族の恨みになる怖さを知るべきだと思います。