少子は現象であって本質ではない。一般的に社会が豊かになるだけで、少子化傾向は起きる現象でもある。古くから、「貧乏人の子沢山」と言われるのは、避妊をしないということもあるが、子どもが家や社会の宝になると認識が強かったためである。
少子現象は社会現象の一つに過ぎない。金さえ出せば子供が増えるわけでもない。金をいっぱい出す国の方でも、極めて困難な事業と腹では思っている。政治家にとっては、結果が相当先になることなど本気で取り組めるわけもない。
興味深い身近な事実がある。都会から田舎に来て営農している若者たち、新規就農者はほとんどが子沢山なのである。当地では主に酪農であるが、新規就農者は夫婦がいつも、子どもの見えるところで一緒で仕事をしている。子供たちは仕事の成果なども実体として体感している、農作業も家の中の手伝いもしている。
上図の知人の酪農家は新規就農して40年を超えるが、子どもが8人(だったかな)で、全員が何らかの形で酪農に関わている。孫が10数人いる。(ドキュメントDVD”山懐に擁かれて”の一部の画像と思われる)
北京冬季オリンピックスピードスケートの銅メダリストの子は、当地の酪農家の末っ子であるが、都会から招いた奥さんの8番目(だったかな)の子である。
都会では多くの子供たちは、親の仕事の内容を知らないし、実態も良く判ってはいないことが多い。農作業は抽象的でもなく、ディスプレイから生まれるものでもなく、実体として目視も可能で親たち大人の喜怒哀楽も体験的ですらある。お金で成果を体感しているわけでもない。彼らはお金持ちではないが、豊かではある。
この国は、経済効率を最優先させることで、世界第二の経済大国に押し上げた。60年代は「金の卵」として70年代の24時間戦う人材は、勤勉なで実直な農耕民族のDNAが支える。そして、自動車輸出の見返りに大量の穀物などの食料輸入をすることになる。(鈴木宣弘氏「農業消滅」など:拙著「そりゃないよ獣医さん」など)日本人の食生活を、輸入小麦のパンへ、輸入トウモロコシを大量に与えた畜産物(鶏卵・牛乳・牛肉・豚肉など)へ食生活をシフトさせた。田舎は空っぽになる。
日本は一次産業を捨て、GDPを上げて見た目に豊かになる道を選んだ。つまり地方を捨てさせ、コンクリートとガラスと鉄に囲まれ、人と人の交わりを極端にすくなくした世界に、多くの人を集めた。
子どもたちには、動く社会の働く大人たちに触れることなく、産業は何を生み出すのか、何のために働くのかを見ることなく、塾に通いひたすら給与の高い産業への道を追い求める。
そうした社会、「おべんきょしなさい」偏差値社会を高めることばかり考える、少子化対策など砂漠に打ち水すようなものである。むしろ少子化社会を受け入れ、国が食料自給に真剣になれば、この国の未来は明るくなる。