そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

ピラミッド型経済の終焉

2009-06-16 | 政治と金

GmGM(ゼネラルモーターズ)が6月1日に、連邦破産法11条の適用を受け破産した。世界最大の製造業社の破産である。負債額は16兆4100億円にもなる。実質国有化になる。

実質国有化になるのは、破産による社会的影響が大きいからに他ならない。政府に救済を求める理由の一つに、GM側が使った理由である。一説によると、300万人もの失業者を産むといわれて、オバマも見捨てるには余りにも影響が大き過ぎた。

自動車産業は、アメリカのビッグ3がモデルとなって世界各国にその産業構造の在り方として普及したのである。最もそれに忠実だったのが日本である。自動車産業は、無数の部品工場や製品工場それに販売システムを支配下に置く、ピラミッド構造を地域に形成していたのである。

トヨタはその典型で、愛知県は日本で一番好景気の地域ともてはやされたのは、僅か3年前のことである。今は日本で一番失業率の高い地域とされている。今また、プリウスの販売が好調となって、雇用が回復しつつあるという。

自動車産業の地域的なピラミッド構造を支えたのが、大量生産方式である。GMをはじめとするビッグ3の大量生産は、常時販売台数を伸ばすために頻繁にモデルチェンジを繰り返し多数のモデルを提供することで、消費者意識を喚起させ販売してきたのである。

環境問題や石油資源の枯渇と高騰、さらには金融危機に始まる不況の現状では、巨大で燃料効率の悪い車を、市場は受け付けなくなってきたのである。そこで、日本の自動車産業はアメリカ自動車産業の危機回避へのヒント、あるいはモデルと持ち上げられている。果たしてそうであろうか。

現在販売が好調な車種は、単に燃費が良いだけのものであって、エコカーと呼ぶに相応しいとは思えない。時代の転換期を象徴する現象であって、将来を保証するものではない。いずれ、電気自動車にとって代わられることになる。

製造面で、電気自動車がガソリン車と決定的に異なるのは、部品の数である。ガソリン車が3万部品の組み立てからなるのに比べ、現状の電気自動車でさえ3千ほどに過ぎない。更に技術革新が進むと、その半分になるかもしれない。つまり、自動車産業のピラミッド構造がなくなるのである。

そうなると、小さな工場で製造する(組み立てる)方が、コスト面でも販売面でもあるいは消費者ニーズの対応でも、よっぽど有利になる。自動車産業の、ピラミッド構造はそう遠くない日に崩壊する。トヨタは真っ先に崩壊するであろう。

これに類似するのが農業である。巨大化するアメリカの農業は、輸出産業として地域を支配するピラミッド構造を、環境問題や新興国の台頭などで、これまでのように維持することはできなくなるだろう。農業は本来の地域を潤す産業と定着するべきなのである。資本の集中する産業から、地域へと分散する形こそ未来に望まれるのである。

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