苦学して早稲田大学を卒業して、逓信省に勤めていた私の父は通信兵として、1943年に太平洋戦争に応召した。1945年に フィリッピンで戦死したが、出兵前には友人たちと「靖国で会おうと」酒を酌み交わしていたと、母は語っていた。それが、死ぬことを意味するのを、幼子を抱えた若い母は怖ろしい記憶として心に刻んでいた。純粋に国家を想い出兵した父の心を思うと、靖国神社の意味を戦争論とは切り離して考えたい。そうした、多分最も多い一般の兵士、国民の感情として見た場合、靖国神社を失くすにはいささかの抵抗がある。
国家の要請に応じて、無為に亡くなった人たちを「それは意味がないことであった」あるいは「お前らは侵略者だった」と、後の人間として非難し結論付けたくはない。戦死した人たちの、国を想い憂う心情を否定したくはないし、消したくはない。しかしながら、戦後の靖国神社の存在は日中戦争からの16年に及ぶ侵略戦争を正当化するだけでなく、賛美するものとなってしまっている。靖国神社は、A級戦犯をこそっと合祀したり(1978年)、遊就館を再開(1978年)したり「英霊にこたえる会」を結成(1976年)するなどして、徐々にではあるが大 きく変質したのである。
靖国神社の本質は併設の遊就館にある。ゼロ戦や回天など特攻兵器をを陳列する、ここは設立の趣旨通り、「国防思想の普及」であり、散華の賛美である。日本の行った戦争は正しく、止むを得なかったものであり、日本は欧米から開放するために大東亜共栄圏を作ろうとしたのだと、戦争を国家論や国防論でいかに正当化しようとも人殺しに変わりない。正しい戦争などというものは存在しないのである。
というのは核心かもしれませんね。
今さらながらですが、靖国に関する定番的数冊を買ってみました。やはりそもそもは軍人の作った慰霊施設であり、神道はむしろ後付けですね。九段の山の手から神保町あたりの下町を望む、というのがそのころの地域的状況で、参道の先の九段下あたりは買い物や娯楽など、多くの人々の集まる場所だったらしいです。江戸で人気だった富士信仰を懐広く取り込む雰囲気だったことも、十分に察せられます。そういう流れから、まあ極論だとは思うけど、「靖国は宗教と呼べるほどのものではないのだから、政教分離は関係ない、首相は公式参拝すべし」という、逆切れ的ご意見もあるようで・・・
戦争というのは自国のための戦いで、その慰霊施設があるのはどこの国でもあることと思うけど、そういう場をして、今のナショナリズムの象徴、あるいは関係悪化をあおり、過去の戦争も将来の戦争も正当化しようとする「道具」としている人たちこそ、問題なのかもしれません。
一番良いのは、首相が韓国や中国などの戦没者施設を回って、広島長崎も回って、最後に靖国にもお参りする、と、そういうフェアな姿勢じゃないかなと思うのですが、本当にそういうことやったら、多くの人々の支持をうける反面、決定的な敵も作ってしまうかもしれません。多くの優れたリーダーが暗殺にあってきた歴史のように・・・