今日、12月14日は赤穂浪士討ち入りの日である。江戸城は松之大廊下で、吉良上野介に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭が切腹を命ぜられ、これに対して亡き主君の浅野内匠頭に代わり、家臣の大石内蔵助が47人を引き連れて2年半後の吉良邸に討ち入り、吉良上野介を殺害し、主君の無念を晴らし仇を打ったという話である。
約半世紀後、吉良を悪党に仕立て上げ、浅野を悲運の名君とし、大石以下の忠君の仇討は「忠臣蔵」として、芝居に講談に映画に歌にと広く、今なお幅広く国民に受け入れてられている。
しかし若い浅野内匠頭は名君だったという裏付けはなく、吉良は行政手腕に長けた人望のある人物だったようである。むしろ吉良の方が名君であっただろうし、吉良は刃傷沙汰も無抵抗で押し通し、一方的に切りつけられている。それに浅野に切腹を命じたのは幕府である。そもそも仇討ちそのものの相手が違うというというものである。
徒党を組んで暴力によって権力者を、時の制度や法律に反して戦うことは、時代や社会背景は異なるものであるが、現代ではテロと呼ばれる行為そのものである。テロを正当化するために、赤穂側を正義に仕立て上げた。吉良上野介を賄賂まみれの悪党にしてしまったのである。
討ち入りも深夜の急襲である。赤穂浪士は一人も死者はいなかったが、幼児2名や女性などを含め30人ほど殺害している。上野介の首を高く掲げ主君の墓地泉岳寺まで行進するという、残忍な示威行為を行っている。たとえ忠臣蔵が真実で吉良が悪党であったとしても、赤穂浪士の討ち入りの方が格段に残虐な行為であるといえる。
討ち入りは所詮テロ行為である。殺害された吉良邸の人達の家族は、やがて赤穂の浪士を仇として追うことになるであろう。際限ない暴力のジレンマの始まりである。そうしたことへの考えも及ぶことなく、自分はいつも正義の側にいて、悪を懲らしめるものと国家ぐるみで考えている。国家間の紛争なんて所詮こんなものでしかない。
時代を超えてこれをやっていることを指摘しています。仇討ち思想は戦争につながる、といいたいのです。
正確ではないと思います。
江戸時代の民衆に現在の民主主義について
話をしたところで狐に化かされたのか?と言われて
しまうのが関の山でしょう。
忠臣蔵が現実の赤穂事件を脚色しているのは
芝居としての面白さを追求したこともありますが、
幕府が現実の事件について報道することを
良しとしなかったこともあるようです。
当時の人々にとっては身分制度は常識であって、
それに対して不満はあったかも知れませんが
あえて壊したりなどは考えていなかったのではないでしょうか。
現在では忠臣蔵はただの犯罪者集団ですが、当時は義士側の
立場の方が理解され易かったのだと思います。
ちなみに最近のドラマでは両方の立場を描くことが多いよう
ですよ。
それも多くの人が、『最早、新しい元号ナンチャラの時代』とか、『戦後ナンチャラからの脱却』とかの言葉に踊らされてるクセに、大昔のこの古典的テロ正当化劇にも踊らされるからなんでしょうね・・・。
社会に対するメディアの責任は重いですね。
ごめんなさい。
つい先ほど忠臣蔵のドラマを見たこともあり、ものごとを裏側から見る努力をせず、一方的で情けないことを言ってしまいました。
どうかお許し下さい。
上野介の領地には馬に乗って見回る姿の像が複数ありますし、人望も厚く多くの書簡が残されています。
ところで赤穂浪士が吸収して殺害した人たちを匿名さんはどう評価するのでしょうかね。
しょーもない体制擁護を長々と、どうもありがとうございました。
これからはわたしが吉良となってあなたがわたしを殺したくなるくらい徹底的にいじめますので、忠臣蔵とおなじ轍を踏みませぬよう、よろしくご対応願います。