かなり以前のことになるが、野菜つくりをやっている知人がいた。その年はかつてないほどの天候で、野菜は豊作であった。おかげで価格が暴落して大根が一本5円ほどにしかならない。大赤字である。せめて出荷費用を節約する意味で、畑にすき込む農家が沢山いた。
知人は、頭にきて4トン車に積めるだけの大根を積み込んで、大消費地である大阪の団地にいった。そこで、ただで配ったのである。集まってきた奥様方に、農家の現状を訴えたのである。
ところが、殆どの大根を処理した頃、夕方になって得体の知れない連中が数人現れて、ボコボコにされたのである。
大多数の農産物価格は、その時々の市場が決めている。多くの商品が、生産者が価格を決めて出荷されているのとは基本的に異なる。最近でこそ、農協などの介入や、生産者が付加価値をつけることで、生産者が価格を決めることもなくはないが、稀なことであるには変わりない。
農産物は、大いに天候に左右される。農民は、効率よく沢山の農産物を生産して、食料を国民に供給しようとするのである。穫れすぎたために、価格が暴落するのはまさしく市場経済そのものである。これでは、農民は不作あるいは少量の収穫でも、価格が高いほうが得なことになる。消費者にはありがたくないことである。
農産物=食料は人間が生命を維持するためになくてはならないものである。食料の質、量、価格を市場経済だけで決めてはならない。そこには、農民の汗もなければ食料の質=中身もない。食料を市場経済に委ねることは、人道的な意味からもやってはならないことである。
食料はなくてはならないものである。工業製品のように倍も売れることもなければ、半分にすることもできない。食料を自給することなく、余剰食料を廃棄するこの国の人たちは、10億の人が餓えている現実を実感していない。
おりしも、今年は夏の天候がよく、野菜が豊作であった。キャベツを畑でトラクターで圧し潰す様には胸が締め付けられる。どこかおかしい風景である。