オウム真理教の教祖の麻原彰晃と、彼に最も近かった6名に今日死刑が執行された。オウム真理教事件の13人の死刑者中のほぼ半分が、今日死刑にされたことになる。平成と同時に始まった事件を平成の終了に合わせての死刑執行である。残りも来年5月までには処刑されるであろう。
事件の被害者は29人とされているが、信者で自死したものや内部で行われた異常なリンチなどの死者などは明確ではない。近代社会が抱える人々の心の隙に潜り込んだ、麻原な巧みな説法がこの宗教と呼ばれた、異常集団を生んだ。高学歴者が多かったのも特徴的であった。
凶悪事件の犯罪の被害者が犯人に対して、「極刑を希望すると」という言葉を、報道はいつも引き出す。事件の無念さと犯人への憎さの言葉である。これの感情の主体は、「報復」である。日本には、仇討という報復が制度として許されてきた歴史がある。無念を晴らすためには、同じ人間にたいして人権すら認めることなく、殺すことを望むのである。
死刑は法令による殺人行為である。近代の法が死刑と戦争による殺人行為を容認している。先進国では次第に死刑をなくしつつある。中国や北朝鮮や、宗教色の濃い中東国家以外の国々では、死刑を廃止する特定の犯罪に限って残す傾向にある。世界では毎年5000人ほどが死刑を執行されているが、半数以上が中国である。
日本では死刑廃止論者は20%に満たない。生まれつきの犯罪者はいない。犯罪者は社会が生んだものである。社会が生んだものであれば、国家なり社会がその償いをするべきなのである。
現在の量刑は報復感が強い。犯罪者が収監される刑務所では、日本ではほぼ半数が再犯者である。ロシアでは80%を超えると聞く。収監されることによって、囚人は反省して犯罪を二度と侵さなくなることがまずないという結果である。
ノールウェーの刑務所は囚人たちを鉄格子の部屋に閉じ込めたりはしない。武器になるような包丁などは固定されてはいるが、自由に調理もできるし短時間に買い物もできる。年休のようなものがあって、自宅に帰ることもできる。この国では、再犯率は確か10%以下だと聞いている。
日本では量刑は、懲らしめるために中世まであった思想がそのまま生きている。
犯罪者にも人権がある。犯した犯罪に対する反省こそが、再犯を防ぎ犯罪者を減らすことになる。ましてや極刑を課すと彼らに立ち直る機会を奪うことになるし、犯罪を減らすことにつながらない。現行の制度では、犯罪者が新たな犯罪を起こすばかりである。
欧州諸国など死刑を廃止している国の方が、犯罪被害者に対して手厚い補償ができている。日本は死刑制度が残ってはいるが、犯罪被害者には十分な対応ができていないのが現状である。
オウム真理教の犯罪は許し難いが、彼らが何処かで何らかの理由で犯罪者になったのである。それが命奪う事にまでつながる理由を私は見つけることができない。戦争も同じである。近代の戦争は全て自衛のものである。相互に自衛を主張する。正義は自国にある、他国は犯罪者であるから殺しても良い。人を殺すことが愛国心であるという事になる。報復感情を満たすことを理由に、犯罪者の命を奪うことが社会を安全にし、社会正義を守ることになるとは思えない。
日本もそろそろ、死刑を見直すべき段階になっているのではないか。
事件の被害者は29人とされているが、信者で自死したものや内部で行われた異常なリンチなどの死者などは明確ではない。近代社会が抱える人々の心の隙に潜り込んだ、麻原な巧みな説法がこの宗教と呼ばれた、異常集団を生んだ。高学歴者が多かったのも特徴的であった。
凶悪事件の犯罪の被害者が犯人に対して、「極刑を希望すると」という言葉を、報道はいつも引き出す。事件の無念さと犯人への憎さの言葉である。これの感情の主体は、「報復」である。日本には、仇討という報復が制度として許されてきた歴史がある。無念を晴らすためには、同じ人間にたいして人権すら認めることなく、殺すことを望むのである。
死刑は法令による殺人行為である。近代の法が死刑と戦争による殺人行為を容認している。先進国では次第に死刑をなくしつつある。中国や北朝鮮や、宗教色の濃い中東国家以外の国々では、死刑を廃止する特定の犯罪に限って残す傾向にある。世界では毎年5000人ほどが死刑を執行されているが、半数以上が中国である。
日本では死刑廃止論者は20%に満たない。生まれつきの犯罪者はいない。犯罪者は社会が生んだものである。社会が生んだものであれば、国家なり社会がその償いをするべきなのである。
現在の量刑は報復感が強い。犯罪者が収監される刑務所では、日本ではほぼ半数が再犯者である。ロシアでは80%を超えると聞く。収監されることによって、囚人は反省して犯罪を二度と侵さなくなることがまずないという結果である。
ノールウェーの刑務所は囚人たちを鉄格子の部屋に閉じ込めたりはしない。武器になるような包丁などは固定されてはいるが、自由に調理もできるし短時間に買い物もできる。年休のようなものがあって、自宅に帰ることもできる。この国では、再犯率は確か10%以下だと聞いている。
日本では量刑は、懲らしめるために中世まであった思想がそのまま生きている。
犯罪者にも人権がある。犯した犯罪に対する反省こそが、再犯を防ぎ犯罪者を減らすことになる。ましてや極刑を課すと彼らに立ち直る機会を奪うことになるし、犯罪を減らすことにつながらない。現行の制度では、犯罪者が新たな犯罪を起こすばかりである。
欧州諸国など死刑を廃止している国の方が、犯罪被害者に対して手厚い補償ができている。日本は死刑制度が残ってはいるが、犯罪被害者には十分な対応ができていないのが現状である。
オウム真理教の犯罪は許し難いが、彼らが何処かで何らかの理由で犯罪者になったのである。それが命奪う事にまでつながる理由を私は見つけることができない。戦争も同じである。近代の戦争は全て自衛のものである。相互に自衛を主張する。正義は自国にある、他国は犯罪者であるから殺しても良い。人を殺すことが愛国心であるという事になる。報復感情を満たすことを理由に、犯罪者の命を奪うことが社会を安全にし、社会正義を守ることになるとは思えない。
日本もそろそろ、死刑を見直すべき段階になっているのではないか。
また日本では犯罪者が即座に射殺なんてのは稀ですからね。拘束→裁判→死刑の流れですから、実に人道的であると言えるでしょう。
特にこの部分に違和感を感じますね。
少なくとも正当な手続きを得ての刑罰の執行ですから、一応の人権は保証されています。
また 死 という重大な問題ですから、被害者家族の感情を無視することはできないと思いますよ。
7月5日死刑執行の前夜に安倍晋三と上川陽子達は豪雨に見舞われる西日本を尻目に酒を浴びていたと言うではないか。積極的平和主義をかかげるならば自衛隊の出動要請が有ろうが無かろうが緊急出動させるべき事態のはずだ。サッカー日本代表の試合放棄を引き合いに出す訳ではないがアンフェアな空気がこの国を支配している。
ものだったのか?
アベシンゾーのモリカケ犯罪隠蔽の為のテレビによる政治ショー
にも見える。
死刑執行しても使者は帰ってきません。そして死刑囚が冤罪だったら国家は権力をもって殺人を犯すことになるのです。
甘いと言われるかも知れませんが死刑に値する人間でも悔い改めて人に少しでも役立つ人間になる社会であればいいなと思います。
戦前まであった華族・士族は廃止されたんだから、皇室も廃止して、フランスとか韓国とか台湾みたいに国民が大統領を選ぶ共和国になるべきだと思います。
国民投票で王制を廃止し共和制に移行したギリシャ、モルディヴのように、日本でも天皇制の是非を問う国民投票を実施すべきだと私は思います。
私は死刑に反対していませんが、平成の終わりという区切り感から一気に死刑執行したことに対する批判が天皇制を廃止しようという動きにつながってくれればありがたいなと思います。
否定するなら、根拠と証拠に基づき反論、論証説明すれば即解決する話。 ー 何故それができないのか??
アベシンゾーの懸案は、全てモリカケヤマに通じる。それに収斂される。
モリカケヤマは、国政の私物化、権力犯罪。国民への背信。
犯罪は絶対悪なのだ。右も左も真ん中も無い。まして政党間の多数決や、カネや権力で決める問題でも無い。しかしそれをやっている今の自公与党の言語道断。
あなたのお話は、人間は例外なく更生・悔悛するという前提がないと成立しえないのですよ、ところがそんな事実はどこにもない、証明されていない。
何でもかんでも社会に責任転嫁をし、犯罪行為を矮小化、責任を希釈化する幼稚な言論にはもはや頭を抱えるばかりです。
応報刑論は主にキリスト教圏以外で採用され、教育刑論はキリスト教圏で採用される。それだけのことです。
外国事例など参考にはならないんです。
自分の主張が現実世界で通用しなければ、外国では云々・・・なにかおかしな宗教にでも入れ込んでらっしゃるのでしょうか。