「日米構造協議」は、1989年パパブッシュの時に、日本の最も短命だった宇野首相に突き付けた、アメリカの貿易赤字を減らすために日本が犠牲になれという、極めて不条理な協議でした。アメリカの貿易赤字の原因は好調な日本経済にある。その勢いを削ぐと、アメリカは立ち直れるという論理で、様々な要求を日本に押し付けてきました。
その最も核になるのが、日本のGNPの10%を公共投資に回せというものでした。しかも、その投資が日本企業を活性化させてはならないという条件付きでした。日本は忠実にそれを実行し、10年間で430兆円を無駄な公共投資に使ったことになります。さらに追加要求で、1994年に200兆円を、生産性を上げることのない公共投資をやらされたことになります。
この数字は、奇妙にもそっくり今日の国家の負債額に一致しています。この630兆円は、財政節度を守るという名目で国はそのまま地方に使わせた。この時期、地方には奇妙な構造物がにょきにょと建つことになります。我々がどう見ても目的が解らないような施設が乱立するのです。
国は地方には地方債を発行させ、とりあえずお金を使わせます。その後、国は地方交付税を大幅に増やすことでこの埋め合わせをやってゆきます。ところが、ろくにその埋め合わせがなされないままに、小泉政権の時に大幅にこれを切ってしまいます。三位一体とかのうたい文句が、耳に残っています。
地方には、運営困難な施設が残り、第三セクターなどにこれを移しますが、元々利益の検証されてのものでないことが多く、ほとんどが赤字経営になってしまうのです。更に地方は、赤字債権が残ることになってしまいます。国に忠実であった自治体ほどツケが大きく残ります。その典型が夕張市です。
その他、土地税制の見直しや大型店舗の規制緩和やあるが、今日のシャッター街の出現はここに原因がある。更には、アメリカに忠実に答えようとした、小泉は極めて地方では公共性の高い、郵政まで民営化してしまったのである。金融制度の開放がうたい文句であったが、郵便事業が国債の多くを買いこんで日本の財政を支えていることなど全く考えていない。
「始まっている日本の未来」宇沢弘文、内橋克人著 岩波書店より