「青い鳥を求めて」
今日の先進諸国はさまざまな問題を抱えるが、共通している重要課題は、雇用、年金、医療などを包含する社会保障改革である。グローバル化が進行する過程で、所得格差、貧富の拡大、失業率の上昇、少子高齢化の進行など、困難な問題が山積している。各国はそれぞれの置かれた立場で、新たな社会モデルの構想と確立に懸命である。
最近のThe Economistが、EU諸国の社会保障システムの特徴について簡単ではあるが、論評している*。日本の今後を考える上でも参考になると思われるので、これを素材にして、主要国の特徴がどう捉えられているか、紹介してみよう。
「ヨーロッパ社会モデル」は存在するか
10月末にイギリスのハンプトン・コートで行われるEU指導者の会議でも、EUの社会モデルとしていかなる方向を求めるかという課題が議論の俎上にのぼる。EUは外部からみると、ひとつの統一された同質の地域共同体であり、社会保障などについても「ヨーロッパ社会モデル」とでもいうべき単一の方向性のあるモデルが存在するかのようにみえる。
日本のメディアなどの議論でも、ともすれば、単純化されすぎた理解が横行している。それによると、ともすると、EUでは働いていようがいまいが、国民に居心地のよい生活上の標準を保障する暖かい保障の毛布が準備されているかに思われる。しかし、現実に立ち入って見ると、それは過大評価であって、EUの内部では国別、地域別のコントラストは、類似点とともにきわめて大きい。政治的、言語上、そして食文化上の多様性がみられるように、彼らの国民的飲み物と同じくらい多様な社会政策の形態がある。それをあえて、類型化すると次のようになる。
大陸(フランス・ドイツ)モデル
最もよく知られたブランドは、フランス、ドイツおよびいくつかの隣接国が目指している「大陸モデル」である。かれらのシステムは、寛大な失業手当と年金給付が特徴である。法律で企業が労働者を解雇する権限を制限している。そして、所得再分配のために多額の資金を投入している。その結果、あくまで相対的な比較ではあるが貧困は少なく、所得差は圧縮される。 ドイツでは労働組合は衰退しながらも、依然として強力である。労働組合は監査役会において企業経営に重要な役割を果たしている。
これは、The Economistのたとえによると、社会政策のシャンパンである:味は良いし、贅沢だが、銀行(財政)を破産させる。
地中海モデル
このモデルは、イタリア、スペイン、ギリシャなどで好まれている政策である。スペインとギリシャでは労働者の解雇については手厚い保護がある。実際、これらの国での雇用保障法は北の国のそれよりも厳しい。しかし、地中海地域の失業給付は、少なくも最近まではあまり良くなかった。国ではなく家族が苦境に対する緩衝材になっていた。これらの国では、不平等を減少させるために租税を手段としてあまり使わない。
このシステムは、さまざまな種類・色合いのグラッパ(イタリアの酒)やウーゾ(ギリシャの酒)のようなものだ。地元の人は好むが、外の人は飲むのをためらう。そして飲みすぎると命にかかわる。
北欧・オランダ・モデル
地中海モデルのような多様な色合いはないが、北欧諸国とオランダは別の社会的保護を準備している。彼らのシステムはアカヴィット(北欧の強い蒸留酒)のようだ。胸が温まり、元気づけられる。 このシステムは、多くの金を貧困減少のために費やし、人々が仕事を得ることを助けるため労働市場に介入する。しかし、これらの国は、プロテスタントの勤労倫理を保持している。いいかえると、国家は人々が仕事につくのを助ける。しかし、その後は自力で可能なかぎり働かねばならない。
失業手当は手厚いが、雇用保護はきわめて弱い。この点で、北欧諸国は地中海型の反対である。地中海型は仕事に就いている人に焦点を当てる。北欧型はかなりの失業手当を準備しているが、解雇については制限が少ない。発泡酒型のフランス・ドイツ型は失業給付および雇用保障の点では「寛大」である。
アングロ・サクソン・モデル
そして、大陸から離れた英語圏のイギリスとアイルランドはどうだろうか(広い意味では、アメリカも含まれる)。イギリス型は大陸および地中海型と比較して雇用保障は弱いことは確かである。そして、再配分税も北欧諸国と比較して低い(貧困率は高い)。しかし、北欧諸国と同様に、ジョッブ・センターなどの機能に多額な資金を投入している。北欧の水準ほどではないが、かなり寛大な失業手当を給付する。この点で、もっと失業手当が少ないアメリカ型とも異なる。
アングロ・サクソンモデルはビールのようだ:ファンシーではない、人によっては苦すぎる。しかし、安いのであなたのニーズを満たすには手軽な方法だ。
社会的厚生についてのヨーロッパの議論は、しばしば冷たい心のアングロ・アメリカン・タイプに対して、暖かくファジーな大陸ヨーロッパタイプに二分して話題にされる。 しかし、これはカリカチュアにすぎない。それもヨーロッパ諸国の間に、アメリカ型は現状status quo に対する代替物であり、「改革」は「われわれの福祉国家を廃止する」 命令であるとの幻想を創りだしてしまう害が大きい。もちろん、ヨーロッパは外の世界への調整が必要である。しかし、一部は隣国とノートを取り交わし、それらから学ぶことで対応できるところがある。
甘みが苦味に変わる時
こうした議論の中で、ブラッセル大学のアンドレ・サピル Andre Sapirが指摘するように、EUの難題は地中海および大陸諸国に集中している。それらは北欧型やアングロ・サクソン型と比較して重い負担を負っている(公的負債は国民所得の比率で倍くらい)。彼らの雇用率は低く、労働時間も短い(フランスとドイツは北欧よりも労働時間が年間150時間短く、アングロ・サクソン諸国より250時間短い)。グローバリゼーションへの反感も強い。
フランスやイタリアが社会哲学や酒の飲み方について、オランダやスエーデン型に方向を変えることはありそうにない。しかし、今後数年を見通すと、採用・解雇法への過大な依存(経済変化の時には大変になる)を減らし、仕事に就く報酬を減らすことについては、ヨーロッパの落伍者になる可能性はある。
ヨーロッパ・モデルは死んでいない。しかし、その多様さのいくつかは、次第に高くついて購入できなくなっている。そして他の酒と同様に、正直な労働倫理を破壊しそうである.
日本はどこに
ところで、大変気になるのは、こうした国際比較の議論にヨーロッパ諸国やアメリカは登場してくるが、アジアの諸国を含めて、日本はほとんど出てこない。1980年代までは、日本モデルは多くの注目を集めてきた。もっとも、それは企業の良好なパフォーマンスを基軸にしたものであったが。
1990年代以降、日本は失敗例とされても、ほとんど注目を集めなくなった。「日本酒」はもう飲まれないのだろうか。 日本はこれらの対抗モデルに対して、存在を主張できるのだろうか。包括的な政策パッケージとして、特徴があるとしたら、それはどこにあるのか。
今開かれている参議院予算委員会でも郵政民営化問題は議論が続いているが、雇用、年金、医療改革などについて、「社会保障モデル」としての包括的な構図は、国民にほとんど見えていない。「小さな政府」v「大きな政府」の議論も、言葉だけが上滑りして、全体像は把握しがたい。小泉首相はいずれ具体的な指標、基準を示したいと答弁したが、与野党ともに、国民に対してより明確な「社会モデル」構想の提示と説明をすべきではないか。
Reference
*Charlemagne: Choose your poinson, The Economist October 1st 2005.