時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(41)

2005年10月11日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋
世俗の世界の画家

二重政治の渦中に生きる
  前回のブログでも記したように、画家としての名声・地位を確立した段階で、ラ・トゥールが制作活動を続けて行くための最重要な問題は、激動するロレーヌの政治環境において、自らのあり方をいかに律して行くかという点にあったと思われる。農民のように、どれほど苛酷な為政者であっても黙って従う以外選択の道がなかった社会階級と比較して、貴族階級の世界に踏み込んだ画家にとっては、もはや政治の次元に無縁ではいられなかった。  

  世俗の世界で生きてゆく上で、画家が生活の場を置いたロレーヌは、フランスとロレーヌ公国との二重政策の中にあった。いずれの側につくかということが、住民の多くにとって、時に生死を分かつほどの重要性を持っていた。

いずれの側に
  この時期にラ・トゥールは画家としてロレーヌ(そしておそらくパリでも)著名な人物になっていたとはいえ、世俗の世界は厳しさを増すばかりであった。戦火や悪疫はいつ襲ってくるかもしれず、人々は常に不安を抱えて生活していた。処世の点でも、いずれの側につくかということが、大きな利害の差異を生んだ。画家がリュネヴィル移住時から要請してきた租税の免除なども、そうした立場と強く関連していた。ラ・トゥールを含めて、ロレーヌに住む人が現実的であり、利己的に感じられるのは、彼らの郷土ロレーヌが経験した過酷な時代背景と不可分な関係にある。  

  私生活において、ラ・トゥールはしばらくこうした現実に冷淡なこともあったようだ。おそらく彼は生来、シニカルで利己的な人間であったわけではないだろう。ラ・トゥールが生まれ育ったロレーヌは、戦火が襲うまでは美しい自然に恵まれた豊かな地域として知られていた。しかし、その後の激変はいかなる理想家をも現実的な人間に変化させたに違いない。  

  ラ・トゥールは、政治の世界の盛衰に画家としての自分の生活が翻弄されることを生来嫌っていたように思われる。とはいっても、作品が世の中に認められないかぎり、徒弟を受け入れ、工房を維持して行くこともできなかった。彼の絵を求めることができる層も限られていた。

利己的にみえる画家の対応 
  画家は、そのために、世俗の世界で利用できることは最大限活用したようだ。当時のロレーヌで画家として成功するには、貴族社会や宮廷などの世界でいかに認められ、その支援を得られるかにかかっていた。同時代の画家たちは、それぞれに貴族社会とさまざまなつながりを得ようとしていた。  

  こうした中で、ラ・トゥールは自分の制作活動に利があるかぎりで、貴族や宮廷のの世界と関わり、宮廷生活には深入りしないようにバランスを慎重にはかっていたようだ。フランス国王に忠誠を誓う一方で、ロレーヌ公爵であったシャルルIV世にも、公然と離反の態度をとることなく、つかず離れずの関係を維持していた。   

  ラ・トゥールは自ら貴族社会に入ることを望み、それを実現しながらも政治的には深入りしなかった。彼はロレーヌ人であったが、メッツ司教領とも関連していた。一時、そこには強いフランスの影響が及んでいた。どちら側につくか、旗幟鮮明にすることは、危険な選択と考えていたのだろう。現代の人間にはこうしたラ・トゥールあるいはほぼ同時代のプッサンの対応は利己的と見える。しかし、これは、激動する社会を生きる画家の処世の知恵であったのだろう。  

  仔細は不明だが、シャルルIV世は、ラ・トゥールのパトロンにはならなかったようだ。しかし、ドム・カルメはラ・トゥールはシャルルIV世に一枚の聖セバスティアヌスを贈呈したと記している。ナンシーの近くの城(おそらくHoudemont )の壁に掲げられていたと記している。画家として、フランス国王、ロレーヌ公の双方に配慮をしていることがうかがわれる。

したたかに生きる 
  こうして、フランス国王付き画家としての権利を主張しながらも、ロレーヌ公から与えられた特権を維持するためにも可能な限りを尽くすラ・トゥールは、法的手段にも精通していた。動乱の時代に身を守るためにも必要だったのだろう。1642-43年、リュネヴィルに落ち着いた後にも、自分の保有する家畜に対して請求された税金の支払いを断固として拒否し、執達吏と争ったりもしている。  

  ラ・トゥールの宗教や信条についてはほとんど知り得ない。しかし、作品の内容から推測するかぎりでも、彼がいずれかの派の熱烈な信者であったとは思えない。ただ、カプチン派のように、フランスの存在は、ロレーヌのカソリックにとって内心、脅威と思っていたのではないだろうか。  

  政治的には不安含みながらも、ラ・トゥールの画家としての人生は円熟期を迎える。


Reference
ディミトリ・サルモン「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:その生涯の略伝」『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』国立西洋美術館、2005年


Jacques Thuillier, Georges de
La Tour, Flammarion, 1992, 1997 (expanded edition )
コメント
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