元気づけられる国
ある国際フォーラムでの報告のために、台湾に行く。台風が台湾海峡に居座っていたが、飛行機は乱気流に巻き込まれることもなく、台北中正国際空港に無事着陸した。この国は、平和に慣れすぎた日本人には、およそ想像しえないほど困難な問題を抱えているが、訪れるたびにこちらの方が元気づけられる不思議な国である。
フォーラムについては、改めて記すとして、今回の旅で最も印象に残ったのは、この国の民主化運動の驚くほどのたくましさである。その歩んできた道は実に感動的である。 今回訪れる機会に恵まれたのは、台湾の現代史においてきわめて重要な位置を占める「美麗島事件」*の翌年に起きた「林義雄家族虐殺事件」**を記憶に留め、民主化のためのひとつの礎としようと、1991年に設立された「慈林教育基金會」(慈林台湾民主運動館)である。
ふとしたことから度々訪れることになった台湾での人々との交流の中で、事件の概略は聞き知っていたが、今回初めてその詳細な事実を知り、また現代史の生き証人ともいうべき人々の得がたい話を聞いた。人生においてこれ以上の悲劇はないと思われるような重荷を負いながらも、淡々として台湾における人権擁護、民主化運動の必要を語る林義雄氏の言葉は聞く人の胸を強く打った。そして、ボランティアとして慈林教育基金會を支える人たちの誠実かつ強靭な精神力にはひたすら感動する。
わずか25年ほど前の出来事である。陳水扁総統も若いころにこの事件の弁護団の一人であった。この事件を中心に、台湾の民主化運動の流れを記録・展示し、民主化運動の支援とすることを目的とするこの台湾民主運動館は、訪れる人に多くのことを考えさせる。政治が人々の平和な人生を引き裂くようなことは、どこの国でも決してあってはならない。
参考
*1979年12月、「美麗島事件」。12月10日の国際人権デー記念集会が無許可であることを理由に規制され、官憲と衝突し流血騒ぎとなった。反国民党指導者が一斉に反乱罪に問われ、12年から14年の懲役刑となった。 林義雄氏もその中心的人物の一人とみなされ、投獄された。
** 1980年2月28日,林義雄氏の2人の娘と母親が殺されるという事件が起きた。場所は台北市信義路3段31巷16號の林氏の自宅で,当時,台湾省議員だった林義雄は前年12月の美麗島事件で逮捕され拘禁中だった。妻の方素敏の外出中に,何者かが留守番をしていた60歳の母親游阿妹と6歳の双子姉妹亮均と亭均を残酷に刺殺した。当時8歳だった姉の奐均がちょうど学校から帰ってきたところで犯人に遭遇,彼女も刺されて重体になったものの奇跡的に一命を取りとめた。当時は戒厳令の下にあり、前年の1979年に起きた美麗島事件の裁判が進行中で、監視下にあった重要政治犯の自宅で,白昼,しかも2月28日(1947年228事件)という日に起きた事件であった。その後、犯人は捕まらないままである。「林宅血案」と呼ばれるこの事件は、当時の状況から国民党の特務とのつながりが想像されている。
慈林教育基金會 http://www.chilin.org.tw/