時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

交錯する記憶の旅:ゼーバルト『土星の環』を読む

2007年08月04日 | 書棚の片隅から

 

W.G. ゼーバルト(鈴木仁子訳)『土星の環:イギリス行脚』白水社、2007年.


  「ゼーバルト・コレクション」の新訳『土星の環:イギリス行脚』が配本されてきた。この作者の作品に親しむようになってから、いつも少なからぬ衝撃と驚きがある。これまで読んできたいずれの作品も、過去・現在・未来、そして現実と虚構が隔てなく行き交い、それもある部分はすさまじい迫真力をもって、ある部分は深い靄の中に紛れ込んだような不思議な世界である。さまざまなプロットが縦糸と横糸のように複雑に織り込まれている。しかし、ひとたび足を踏み入れれば違和感はいつとはなしに解消し、ゼーバルトの世界に浸りきってしまう。

 この作者にとりわけ惹かれるのは、ひとつには自分がこれまで過ごしてきた日々や関心の在り処と微妙に交錯しあう部分があるからかもしれないと思う。その意味では、今度もきわめて個人的な受け取り方なのだ。作品の内容からしても、読者ひとりひとりがイメージするゼーバルトの世界は、決して同一のものではないだろう。

 それにしても、ゼーバルトが使っているプロットは、不思議と私的に因縁があるものが多い。とりわけ、その思いは、『土星の環』を読み始めてたちどころに深まった。というよりは、あまりの重なり方に背筋が冷えるような思いがした。

 その衝撃はページを開いた時から始まった。ゼーバルトの著作には写真が多用されているのだが、今回はレンブラントの『テュルプ博士の解剖学講義』のモノクロ写真にいきなり驚かされた。先日、まったく異なった脈絡の中で出会い、ブログにも記した作品だからである。

  ゼーバルトはその生涯を2001年末、イギリス北部ノフォーク州ノリッジ近くで不慮の交通事故で終えた。娘さんと運転中に脳卒中の発作が起き、タンクローリーに衝突したらしい。

  この作品は、1992年にある大きな仕事を終えた著者が、その空虚を埋めるがために、イギリスのイーストアングリア南東部サフォーク州*を徒歩で旅するとの設定で始まっている。ここはゼーバルトが長年勤務したイーストアングリア大学のあるノフォークの隣の州である。そして、1年近い旅の終わりに身動きできないような状態でノリッジの病院へ担ぎこまれ、入院生活を送る。なにかその後の人生を予感させるような話である。

 退院後、あるきっかけで17世紀、1605年ロンドンに生まれた外科医トマス・ブラウンなる人物の遺骨の行方をめぐる問題に関わる。トマス・ブラウンは医学を志し、モンペリエ、パドヴァ、ウイーンのアカデミーで学び、オランダのライデンで医学博士となり、28歳ごろにイギリスに戻る。そして、このオランダ時代、あのレンブラントの『テュルプ博士の解剖学講義』を実見していたのではないかという推理が投入される。この歴史的にも名高い講義は1632年1月に公開講義として計量所会館で行われた。作品に描かれた名医以外に多数の人々が見守っていたのだ。まさに医学を志す者ばかりでなく、人知の闇から光へと抜けるひとつの歴史的瞬間でもあった。

 ゼーバルトのこの『テュルプ博士の解剖学講義』についての視点の鋭さは、驚異としかいいようがない。レンブラントはラ・トゥールとともに私の「仕事」以外の関心の重要な部分に位置しているので、この作品(マウリッツハイス美術館所蔵)はかなり克明に見てきたつもりであった。いくつかの専門書も読んできたが、この作品についてこれほど深く読み込んだ観察は初めてであった。

 まず、テュルプ博士を初め、描かれた当代著名な外科医たちが正装し、テュルプ博士にいたっては帽子まで被っているという光景は、グループ・ポートレートという新たな肖像画ジャンルのために、画面上で正装させて描いたと、うかつにも思い込んでいた。しかし、これは単なる解剖学の講義ではなくて、人間の肉体を切り刻むという太古の儀式を継承しており、現実にこうした姿で講義も行われたらしい。さらに、医師たちの視線がテュルプ博士の説明する解剖部位ではなくて微妙に逸れている理由にも驚かされた。視線の先は解剖された部分ではなく、画面右端に置かれた解剖学図譜のページに向けられている。

 ゼーベルトの驚くべき指摘は、解剖されている左手の腱は虚構であり、実は右手のものであるという点であった。描かれているのは解剖された左手のものではなく、解剖書の右手の部分なのだ。レンブラントはなにを思い、ゼーベルトはいかなる解釈をしたか。さらに興味深い点は多いのだが、レンブラントという稀代な画家がこの一枚の作品にこめた深い思想と、それを読み解こうとしたゼーベルトという作家の能力には、言葉を失った。 

 さらに瞠目したことがあった。数ページ後に、あのグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』におけるジムプリチウス・ジムプリチシムスが登場するのだ。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』(1967年、ブエノスアイレスで刊行)を介在して、ジンプリチシムスが出くわした怪物、<刻々変幻>パルトアンデルスが登場する。森の奥で石像と化していたこの怪物は、ジムプリチシムスの眼の前で変身し、書記となってつぎのことばを書く。「われは初めにして終わりにして、いかなる場所にても真なり」(邦訳p.27)。 

 かくして、医師トマス・ブラウンを追い求める思索の旅は、細々とした糸ながら切れることなく、この作品に縫いこまれていく。まさに絶妙としか言いようがない。縦糸と横糸は不思議な世界を織り出しながら、時には復元しがたいような脈絡に迷い込む。しかし、いつの間にか、基調に戻り、ストーリーが紡ぎだされてゆく。短いが深い脈絡を保つ10の章の第1章からこの深み、闇というべき最中にはまり込み、一人の読者として、しばらく茫然自失のような時を過ごすことになる。

 トマス・ブラウンという医師の探索を細い糸として、ゼーベルトは時空を縦横にかけめぐる。ヨーロッパのほぼ全域のみならず、中国、西大后の時代へ、そして第二次大戦中のホロコースト、さらにはサッチャーの新資本主義まで織り込まれている。しばしば、ノスタルジックな色を漂わせながらも、それに沈潜しきってしまうわけではない。

 終章に近く、イーストアングリアの都市ノリッジにおける絹織物産業の盛衰が現れる。18世紀初頭はロンドンに次ぐ大都市で、絹織物の繁栄に深夜も工場などに灯火が絶えることがなかったという。その背景には世界史を舞台とした絹織物産業の栄枯盛衰が反映していた。しかし、時代は移り変わる。この壮麗な大伽藍が印象的な都市は、今訪れるとなんとなく寂寞として空虚な感じを受ける。こうした都市にありがちな陰鬱、退廃といった感じではなく、美しさと静かさを保ちながらも盛期を過ぎたという光景であろうか。そして、絹商人の息子として生まれたあのトマス・ブラウンは再びここに現れる。それにしても、『土星の環』とはなにを象徴するのだろうか。読者はそれぞれに、これまでの本書とともに辿った旅を想起させられることになる。

 

* 1994-95年にかけてイギリス滞在中、この地域の旧跡・城址などを歴訪していた個人的体験と重なる部分が多い。埋もれた記憶を呼び起こされた感がする。ゼーバルトの記憶の深さ・広さに感嘆するばかり。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする