今日の劇場で、上演時間が長い演劇というのは、どのくらいなのか、寡聞にして知らない。テレビの連続ドラマなどは別にして、普通の劇場を舞台として上演される演劇は多分長くて数時間が限度ではないかと思っていた。
ところが、2000年にドイツのハノーヴァー・エクスポで上演されたゲーテの『ファウスト』は2部作で、なんと21時間をかけたという*。その結果については、これこそ『ファウスト』の決定版という評と、細部にこだわりすぎ平凡で想像力に欠け、退屈だったとの評に二分したらしい。 実際に見たわけではないが、なんとなく分かる気がする。
驚いたことは、ドイツには、こうした長大な劇作を好んで演じている劇作家、役者がいることだ。一時はドイツ演劇界の長老ともいわれたピーター・スタインPeter Stein という70歳近い役者がその象徴だ。ふだんはイタリア、トスカナの農家に、妻であり、女優でもあるマッダレーナ・クリッパと暮らしていて、ここをプロダクションの本拠としてさまざまな演劇上の発信をしている。
このスタインが今夏からベルリンの南東にある醸造工場を改造した劇場で**、あのフリードリッヒ・シラーの「ヴァレンシュタイン」を三部作として公演し始めた。なんと1回の上演に10時間を要するとのこと。
もうひとつ驚いたのは、現代ドイツでいまだヴァレンシュタインが一大演劇として企画され、それを期待する観客がかなりいることであった。やはりシラーの偉大さなのだろうか。
少なくも日本では17世紀の30年戦争のことなど、西洋史の研究者(そしてこの「変なブログ」の筆者)でもなければ、ほとんど関心がないのではと思ってしまうが。どの国にも国民的史劇が継承される素地が残っているのだろう。
他方、30年戦争は少し踏み込んでみると、大変奥深い。そして今日のイラン、イラクなどに起きている現実とほとんど重なるような迫真力を持っている。これらの地域の実態は、17世紀の30年戦争当時とほとんど変わらないほど悲惨で深刻だ***。
今回ピーター・スタインがとりあげたヴァレンスタインは、ボヘミアの傭兵隊長から身を起こして、カソリックの皇帝フェルディナンドII世ともに30年戦争を戦う。一度は解任されるが、皇帝の懇請により、再び司令官の座につき、強大な力を発揮する。これが第一部である。そして第二部と三部は、オクタヴィオ・ピッコロミーニ元帥の皇帝への傾倒、彼の息子マックスのヴァレンスタインの娘テクラへの愛、そして最後にヴァレンスタインがプロテスタントの希求するものを受け入れた後、暗殺されるまでを描くという。
「ヴァレンスタイン」は1960年代には国民的に人気があった。しかし、60年代末頃には関心も大きく薄れたという。プロシャのミリタリズムとの連想も生まれ、人気がなくなったらしい。その後上演されることはあってもきわめて簡約化されたもので、スタイン氏によると「中身の空虚な歴史劇」にすぎないという。やはりシラーの描いた史劇の世界を伝えるには、それなりの時間と空間が必要なのだろうか。今回の舞台装置や小道具も考証に時間をかけた、かなり大がかりなものらしい。
今回のシナリオでは、ヴァレンスタインは自らの運命について決定する知力に満ちた指導者として描かれるようだ。政治を正しい方向に向けるために想いを巡らせ、試行し、破れ、自らのあり方にも疑いの念を抱く思索の深い将軍のイメージが提示されるという。主役のひとりには「メフィスト」や「アフリカを遠く離れて」などに出演し、カリスマ的光彩を放つオーストリアの男優クラウス・ブランダウアーの起用が決まった。
スタイン自身はドイツ演劇界におけるアウトサイダーであることを強調するが、今回の試みは彼が依然この世界の魔術師であることを示しているとの評価もある。いずれにせよ、こうしてシラー、そして30年戦争が語り続けられていることに感銘を受けるとともに、こうした試みを受け入れるベルリンという都市の奥深さが伝わってきた。
*German theater: “Wallenstein” ‘If you like very long plays.’ The Economist August 25th 2007.
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“Wallenstein” at the Kindlo-Brauerei, Berlin, 13 times between August 25th and October 7th.
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'Iran: Islamic Republic of Fear.' The Economist August 25th-31st 2007.