ある会議の合間に、日本を代表する大病院の経営や臨床現場に携わっておられる医師の率直なお話をうかがう機会があった。図らずも話題は日本の看護士・介護士不足の実態に集中、とりわけ急速に進む看護士不足の深刻さが話題となった。地方のみならず大都市での不足の実態も深刻なようだ。
有名大病院や看護士養成校を持っている所などは、なんとか対応しているようだが、予算制約が厳しい公立病院などは危機的状況で、このままではとても正常な医療は継続できないとの話である。院内の打ち合わせ会議には、毎回のように看護スタッフ確保の問題が出てくるとのこと。知らない人がないほどの有名病院のお話なので、かなり驚く。
看護士の資格免許を保有していながら、現在は看護士として働いていない人々の職場復帰を促すなどの努力もなされているが、非現実的で対応策になっていないとの見方が圧倒的に強い。看護士自身も高齢化から無縁ではない。厳しい労働環境、医療・看護技術の急速な進歩などのために、再参入の道は険しく大きな期待は持てない。
それどころか、交代勤務の厳しさ、報酬に比しての多忙な毎日、負わされる大きな責任などから、病院勤めを辞めて労働市場から退出してしまう看護士が増えているという。確かに患者として実際の医療・看護の場を経験してみると、厳しい条件の下で働いている方々の姿には頭が下がる。
勤務態様などが柔軟な介護サービスなど、他の分野の仕事へ変わる人もいるようだ。町中のクリニックなどは、交代勤務もなく負担も少ないこともあって、看護士確保にさほど危機感はないらしい。
医師の先生方のお話では、医療レヴェルも高度化し、スキルの高い看護士が欲しいが、とても無理な状況だとのこと。いまや数を確保するだけでも大変のようだ。なんだか暗い話ばかり。
看護ばかりでなく、介護サービスに携わる人材の不足も、さらに輪をかけて厳しくなっている。厚生労働省は今頃になって団塊世代の高齢化に伴う介護ニーズをまかなうためには、2014年までに介護職員などを40-60万人増やす必要があるとの推計を公表した*。この問題に限ったことではないが、その場しのぎの対応しかしてこなかったことが、いまや破綻状態を招いている。
長年、労働問題をウオッチしてきたが、数年でこれだけの数で、専門性を備えた人材を養成することは並大抵のことではない。一部には介護職員の熟練はそれほど高くなくてよいと考えている向きもあるようだが、事実誤認も甚だしいと思う。さまざまな問題を抱える患者、高齢者に適切に対応するには、言葉に尽くせない熟練、資質が必要とされる。ロボットと違って、こうした対人関係のスキルも体得した人材の教育・養成には多大な時間とコストを必要とする。看護・介護分野の生産性の向上が必要なことは明らかだが、最も人手を要するサービス分野であり、人間的な対話・交流がきわめて重要な職業分野である。
福祉施設などで働く介護職員の労働条件は、長時間労働、低報酬で、介護職員を目指す若い人々へのインセンティブも薄れている。移動が激しい。人手不足で需給が逼迫しても、仕事は厳しくなるばかりで労働条件の改善にはつながらない。
といっても外国人看護士・介護士の受け入れに大きく頼れる状況ではない。政府は2006年に介護分野でフィリピン人研修生を受け入れることを決めたが、総数はわずかに600人。それも継続的に働けるのは4年以内に介護福祉士の国家資格を取得した人に限られるため、焼け石に水の状態である。今回、お話いただいた医師の方々のフィリピン人看護士・介護士への評価は高い。職業意識に徹していて、日本人スタッフと組めば十分信頼できるとのこと。今後の日本にとって国際的な経験の蓄積はなににもまして重要な課題だ。医療・看護、教育も日本人だけでという時代はとうの昔の話となっている。
参院選の結果の混迷は長く尾を引きそうで、厚生労働分野の事態改善は難航しよう。年金記録問題に時間をとられている間に、医療・看護・介護問題がさらに深刻化することが十分考えられる。その場限りではない、国家百年の計として、根本的検討が必要だ。政治の膠着にかまけて、こうした国民的問題への対応が先延ばしにならないよう願うばかりだ。
* 「介護職員「40万人増員必要」団塊ニーズ見据え厚労省推計」『日本経済新聞』2007年7月23日