時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ルイXIII世の音楽世界(1)

2007年08月15日 | 絵のある部屋

Louis XIII de France, Philippe de Champaigne, 1655,  Oil on canvas, 108 x 86 cm Museo del Prado, Madrid  


 酷暑の峠も、もう少しの辛抱とのこと。暑気払い?に、少し時代を飛んで音楽の世界へ。  

  バロック音楽は宮廷文化の繁栄とともにあった。17世紀、ラトゥールがパリのルーブル宮を訪れた頃は、ブルボン朝ルイ13世(1601-1643, 在位1610ー)の時代であった。ラ・トゥールは王室付き画家の称号を与えられたほどであり、王のお気に入りの画家のひとりであったことは間違いない。 しかし、この王についても、不思議とあまり知られていない。この時代に活躍した芸術家たちと王との関係も、その実態はあまり明らかではない。  

 ルイ13世は歴史上は太陽王ルイ14世の輝きの前に、「ヨーロッパの歴史でもほとんど目立たない王の一人」とされ、あまり評価されることのない王となっていた。「ルイ14世の父親」、「3銃士の時代の王」という揶揄も横行している。  

 しかし、その後の研究などで、少し距離をおいて見ると、それほど凡庸な王というわけではない。人に厳しく当たったなどうわさ話の類はあるが、歴代のフランス王の中では、とりたてて変わった性格といったわけではなかったようだ。むしろ「公正な王」Louis VIII, The Just といわれるように、自ら宗教的戒律にも厳しい、ブルボン朝では、どちらかというと地味な王であったようだ。  

 ルイ13世は父であるアンリIV世の死去に伴い、1610年10月17日、ランスでフランス国王として戴冠したが、成人に達していなかったので母親マリー・ド・メディシスが摂政を務めた。その後、王は1614年10月2日に正式に成人を迎えた。しかし、実際にルイ13世の時代となったのは、コンシーニの暗殺と1617年4月24日のクーデターの後だった。1615年11月23日には、ボルドーのサン・アンドリュース寺院でオーストリア王室の皇女アンネ との結婚式が行われた。しかし、これは形だけで、実際の結婚認知は1619年1月25日まで待たねばならなかった。  

 この時代、政治・外交は、あの辣腕の宰相リシリューがとり仕切っており、王の出番は少なかった*。そのこともあって、文化政策の当事者として、フランス文化を華々しく展開するという役割も果たせなかった。宗教的にもカトリック宗教改革の支持者であり、厳格なジャンセニストに近く、王としては派手好みというわけではなかったようだ。ヴェルサイユ宮は当時は狩猟用の山荘の扱いだった。  

 しかしながら、ブルボン朝の例として、王としてのルイ13世は宮廷文化の象徴のごとき存在であった。王はさまざまな芸術、文化の領域に関わっていた。ルイ13世はことのほか音楽を好んだ。幼少の頃から、リュート、ヴァイオリン、歌唱などに親しんだ。  たびたび引用される侍医 ジャン・エロール の日誌によると、幼い頃から「王は音楽を愛し、熱心に耳を傾け、陶酔したように高揚し、じっと聞き入っていた。椅子に座り込み、歌唱やリュートに聞きほれて、その他のことは上の空のようだった」と記されている。食事の間もずっと演奏を続けさせていた。  

 画家フィリップ・シャンパーニュ特別展が最近開催されていたことは前々回のブログに記したばかりだが、ルイ13世もお気に入りの画家が描いた肖像画が残っている**。ルーベンスの手になる同様な作品もあるが、肖像画はやはりシャンパーニュの方が一段抜けている。画家自身は必ずしも目指した方向ではなかったようだが、肖像画家としては当代第一流といえる。  

 ルイ13世は音楽にはかなり入れ込んでいたらしい。 楽器も狩猟用のホルンやリュートを自分で奏でていた。作曲などもしたようだが、曲は残念ながら残っていないらしい。王が好んだ狩の光景がイメージされていたようだ。   

 王が音楽へのめりこんだ背景には、摂政時代の強力な母親のイメージと顧問役たちからのさまざまなプレッシャーから逃れたいとの思い、アンリIV世の死後失われたフランスの安定を取り戻すに力を注ぎたいと願ったが、なかなか実現できず鬱積したさまざまなフラストレーションなどがあり、音楽はそのはけ口でもあったようだ。  

 ダンスも特に好きというほどではなかったようだが、1年に最低1度は自ら踊っていた。1919年の12月1日、王は初めて妃を伴い、バレーの宴に臨席し、一緒に踊った。  

 こうしたことから推測されることは、政治・外交の次元では宰相リシリューにかなり引っ張られながらも、ジャンセニストに近い宗教観を持っていた比較的地味な王のイメージが浮き上がってくる。次回ではこのルイ13世が聴いていたという音楽について触れてみたい。



* 近年、リシリュー側からの史料ばかりでなく、王の側からの新たな史料などで、従来とは少し違った王のイメージが生まれているようだ。

** この肖像画はシャンパーニュによって描かれ、オーストリアの王女、ルイ13世の妃アンネから、スペイン王フェリペIV世へ贈られた。

コメント
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