L'ORCHESTRE DE LOUIS XIII (1601-1643) *
Recueil de plusieurs airs par Philidor L'Aisne
Le Concert des Nations
Manfred Kraemer Concertino
JOEDI SAVALL
ALIAVOX
30年戦争や内乱などがあっても、17世紀フランスという大国の王の日常はかなりのんびりしたものだったらしい。政治・外交の世界は、辣腕のリシリュー枢機卿と配下の指揮官たちがこなしており、ルイXIII世は自ら関わって積極的な提案をしたり、意思決定することはあまりできなかったようだ。もっとも戦争などで王の権威が必要な時には、前線へも出向いてはいた。
しかし、王としてはかなり不満を感じていた面があったようだ。とりわけ正式の王座に就くまで、摂政であった強い母親、うるさい顧問たちなどへの反発、フラストレーションがあったらしい。そのひとつのはけ口が、狩猟やバレー音楽などに向けられていた。
これらの活動は、美食と運動不足の生活への対応という意味もあったが、そればかりではなかったらしい。そのことは、バレー・ダンスで王が選んだ役割などから推測もできる。そのひとつの例として挙げられているのは、Ballet de Madame(1615)でルイXIII世自身が太陽の神に扮して踊ったことである。権力や栄光への渇望があったのだろう。この役割はルイXIV世の時代によく知られている「太陽王」のイメージにまで拡大されたことはいうまでもない。
『ルイXIII世のオーケストラ』というCD版*をたまたま持っていた。Le Concert des Nations というちょっと大げさなタイトルがついている。収録されているのは主として当時の宮廷バレー音楽である。前回記したように、王自身が大変な音楽好きであり、ダンスはそれほどではなかったとはいえ、バレーについても幼少の頃からほとんど身体で覚えていたようだ。とりわけバレーについては、王自ら出演していた。
17世紀前半、画家たちのローマへの旅が慣例化するほど文化的先進国でもあったイタリアではオペラが隆盛していたが、フランス人はあまり関心を示さなかった。代わってフランスの宮廷で好まれていたのは「バレー」(バレー・ド・クール)といわれる特有の舞踏劇であった。
この宮廷バレーは、劇、、歌唱、ダンス(舞踏)、音楽の混合したものであり、すぐれて貴族的・王宮的な雰囲気から成っていた。庶民の音楽世界とはまったく別の次元である。バレー・ダンスは当時の貴族階級にとっては必修科目のひとつでもあった。このCDは今日まで継承されてきたものを再現しようとした一つの試みである。
宮廷バレーは、通常次のような構成で上演されていた。それぞれの場面で最初にレシタティーボ(叙唱)、続いて詩の朗読、対話(ダイアローグ)、コーラス、ダンスかパントマイム、そしてグランド・フィナーレとしてのバレーが、仮面をつけた貴族たちとプロ・ダンサーによって披露された。ルイ13世は少なくとも年1回は自ら踊ったらしい。
こうした慣わしが定着するにつれて作曲家(歌唱および楽器)、演出家、記録係り、振り付け師、舞台監督などの役割が生まれ、総合ドラマ化への道を進んでいった。現在では、残念なことに音楽楽譜などの大部分は消滅して継承されていないが、わずかに残った部分が、フランス国立文書館などに所蔵されている。こうした記録をつなぎ合わせ、当時の状況を再現しようとする試みがいくつか行われてきた。
さて、しばらくぶりに聴いてみる。華やかではあるが、反復も多くやや単調な感はぬぐいがたい。しかし、17世紀の宮廷に響いていた音の世界を追体験することはできる。
ルイVIII世は1643年5月14日になくなったが、息子にフランス国王の座ばかりでなく、音楽とダンスへの情熱を残した。
この17世紀へのタイムトラベルも、記録的な酷熱の前に消夏の効果はあまりなかったが、夏の夜の夢の一端を体験することはできた。