時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(4)

2009年02月05日 | ロレーヌ魔女物語

ロレーヌの草原を流れるセイユ川

グアンタナモへつながる魔女狩り 
  オバマ新大統領は就任早々の22日、キューバ・グアンタナモ米軍基地にブッシュ前政権が設置した対テロ戦収容所を、1年以内に閉鎖することを命ずる大統領令に署名した。ブッシュ路線との決別を意味する象徴的な決断だった。アメリカ史上の汚点といわれる1692年に始まったセイラム魔女審問の延長上にあるとされてきたテロ容疑犯の収容施設である。現代の名にふさわしくないおぞましい状況が露見、摘発されてきた。遠くたどれば魔女狩りの時代へとつながっている。  

  魔女の問題が為政者の大きな関心事となることは、17世紀においてもかなりあった。宗教と政治の境界が定かでなかった時代であった。魔女狩りはカトリック教会の力が強かった中世よりも、近世に入ってからの方がはるかに増加している。宗教改革によって教会の力が弱まり、呪術や魔術が再び力を得て、隙間へ入りこんできたといえようか。そればかりでなく、魔術や魔女狩りは、しばしばカトリック世界の中心部に近い修道院の中から生まれてきた。

魔女狩りの原型
 1609年、フランス、エクサン・プロヴァンスのウルスラ会の修道院で、貴族出身の若い修道女が幻覚と夜驚症状にとらわれた。この修道女に悪魔が憑いていると考えたドミニコ会の修道士が公開の惡魔祓いの儀式を行う場で、修道女はルイ・ゴーフリディ神父というマルセイユでアクール聖堂区の主任司祭を務める高名な人物を名指しで非難し始めた。彼女はマルセイユに住んで、神父の指導を受けていた頃、自分に魔法をかけたと述べたのだ。神父は最初のうちは、司教の支持をとりつけたりして、身の証を立てることができたが、うわさは拡大し、事態を放置できなくなったエクスの高等法院は神父を捕らえた。1611年2月、拷問の末、神父は自供し、惡魔と契約したこと、信仰を捨てたこと、サバトに行ったこと、呪いをかけたことを認めた。修道女を誘惑し、魔女にしようとたらし込んだと告白した。1611年2月、ゴーフリディは火刑台へ上った。 

 
ルーダンの憑依
 このエクスの惡魔憑きのうわさは、あっという間にフランス中に広まった。もちろん、ロレーヌでも大きな話題となっただろう。エクスの事件は、その後、この時代の魔女審問のいわば原型になった。その後、1632年にはルーダンの惡魔憑きとして、これも大変よく知られている惡魔祓い裁判が、同じようなプロセスで起きた。その経緯は後世さまざまな学問的研究、小説、演劇、映画などの題材となった。ルイXIII、宰相リシリューまでが深く関与した政治的にも大事件だった*



1634年ルーダンで火刑に処せられるサン・ピエール・デュ・マルシェ教会主任司祭、サント・クロワ教会聖事会員ユルバン・グランディエ師。当時流布した銅版画の一枚。(このグランディエ司祭、なんとなく明るい容貌に描かれていますが。その謎を解く秘密は、下記セルトーの力作をご覧ください。)  

  魔女狩りや魔女審問はヨーロッパの諸地域に、平均して見られたわけではない。時代や地域によって、かなりばらつきが見られる。しかし、そうした差異を生み出した要因については、十分解明ができていない。17世紀のフランスあるいはロレーヌ公国においても、今日に残る記録でみるかぎりでも、さまざまな審問事例があることが分かる。この時代はヨーロッパにとって宗教改革の嵐が襲い、対立と混迷をきわめた「宗教の時代」から近代への移行の時期であった。  

  ロレーヌを含めて、フランス語圏では魔女審問が他地域よりも多かった。ロレーヌ(ドイツ語:Lothringen)の名は、現在のフランス20地域のひとつとして受け継がれている。しかし、17世紀ロレーヌ公国の領土は、現在のロレーヌより小さかった。ロレーヌは、古く遡れば6世紀には、オーストリア・メロヴィンガ朝は、この地域のほとんどを領有し、ブルーネヒルト(Brunehild,ワーグナーの悲劇的ヒロインの遠い原型)はメッスを都としていた。

忠誠の二面性 
  しかし、17世紀のロレーヌは、地域としては統一がとれていない存在だった。ロレーヌ公国の名を掲げながら中央集権の力は及ばず、国境近辺は、フランスや神聖ローマ帝国との争いによって漠としていた。ロレーヌは公式には神聖ローマ帝国の版図に含まれていたが、住民にとってはあまり関係のないものだった。他方、バロア朝を支持する勢力があって、伝統的にフランス側につき、ロレーヌ公はフランスに忠誠を誓っていた。この神聖ローマとフランスに関わる二面性は、ロレーヌに複雑な中世的状況を生み出してきた。 

  魔女狩りは中央集権が行き届いた地域よりは、辺境、周辺の領邦など、政治的統一性の緩やかな地域で多発したようだ。ロレーヌも公国としての集権力は弱く、内外の敵に脅かされていた。公国は、メッス、ツール、ヴェルダンの司教区の教会権力からも脅かされる状況にあった。そうした中で、歴代のロレーヌ公は、強国の狭間で懸命に均衡をとりながらも、できうるかぎり戦争を回避し、懸命に領土を維持してきた。  

  しかし、ヨーロッパ政治が大きく動くと、この小さな公国はたちまち揺らいでしまい、独り立ちが困難になっていた。公国の領土は狭小であり、政治、文化の中心ナンシーは、隣接するどの国の国境からも90キロ程度しか離れていたにすぎなかった。美術史のテキストなどでは、当時ロレーヌを旅した旅行者の目には、この国は天然資源も豊かで大変繁栄しているように映ったと描かれていることが多い。しかし、経済史などの観点からは、人口密度が低く、税収吏の力も弱く、税率が低かったので、税収基盤が小さかったにすぎないからとされている。歴代のロレーヌ公は、支配権力が十分でなく、フランスのように農民から税金を搾り取ることはできなかった。ロレーヌの住民の大部分を占めた農民は、相次ぐ戦乱、悪疫などの襲来で、見かけの豊かさとは程遠い状況に置かれていた。物質的にも精神的にも不安な時代が長く続いたロレーヌは、魔術や呪術、さまざまな世俗的信仰、民間療法などが忍び込みやすい風土だった。
  




References
* 
Michel de Certeau. La possession de Loudun. édition revue par Luce Giard. Paris: Gallimard/Julliard, coll. Folio histoire, 2005 (1970) 

Michel de Certeau. The Possession a Loudun, translated by Michael B. Smith, with a Forward by Stephen Greenblatt. Chicago: University of Chicago Press, 1996l.

ミシェル・ド・セルトー(矢橋透訳)『ルーダンの憑依』みずず書房、2008年。  
 
 本書は、17世紀フランスの魔女狩り、魔女審問の典型を深く、鋭くえぐった見事な一冊だ。すでにオルダス・ハックスリーの『ルーダンの悪魔』 The Devils of Loudun や映画化などでも、よく知られているが、セルトーのこの著作はきわめてよく考えられた組み立てと周到な史料調査に基づき、当時のフランス全土を揺るがせた事件の深層に迫っている。ロレーヌ公国における魔女狩りに関する史料的な Briggs(2007)の最近作などと併せて読むと、フランス、ロレーヌというフランス語圏における精神的・文化的風土の深奥へ少し入り込めた感じがする。

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