Nancy, Musee des Beaux-Arts
Photo:YK
ブログというメディアは、アトランダムなメモや簡単な意思伝達の手段としては優れているが、ひとつのまとまった思考やストーリーを整理したり、伝達するには適当でないことが分かってきた。プロヴァイダーによって違うのかもしれないが、一回の字数も上限があって、たちまちオーバーしてしまう。多くの興味深い問題が行間に落ちてしまうのだ。面白いことは、細部に入るほど増えるのだが、細切れにすると、思考の糸が途切れてしまうことがしばしばだ。
このブログに記しているようなことは、数式のように簡潔に意図を伝えることはほとんど不可能だ。もともと限界は承知の上で始めでしまったのだが、ここまで来ると、対応も一苦労になってきた。ある程度の断片を積み重ねて、その熟成に委ねるしか道はなさそうだ。果たして熟成するのかも分からないのだが。
戦争、疫病、呪術、貧困、荒廃が支配した17世紀の世界を生きたひとりの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが、なにを頼りとして、したたかに生きたか。彼の作品と世俗の振る舞いは、あまりにもかけ離れていた。その舞台であったロレーヌ、フランスあるいはより広いヨーロッパ世界は、簡単には理解できない。美術館で作品だけを見ていたのでは、およそ分からない広大な世界が背後に広がっている。
この時代のロレーヌというヨーロッパの小国の風土は、グローバル不況に恐れ,慌てる現代の日本と比較したら格段に過酷なものであった。頼りにすべき世界像もほとんど見えていない時代だ。人々は次々と押し寄せる苦難の中で必死に生き、あるいはそこから脱却しようと、神を求め、魔術・呪術にすがり、占星術や錬金術に期待し、富、栄誉、権力を追い求めた。そのしたたかさは、現代人のひ弱さとは比較にならない。彼らは、不安と絶望に打ちひしがれた日々を過ごすなかで、時折雲間から射し込む一筋の光が生み出す平穏な時を楽しんでいた。
この不安に満ちた時代、どうしたら前方にかすかな光を見ながら、時々は生まれてきてよかったと思い、日々を過ごすことができるだろうか。とりわけ若い世代の人たちに、少しでも伝えられることがあるだろうか。こんなことを考えながら、「変なブログ」はここまできたのだが。