時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家になった息子と母親:ジャック・ステラ

2009年02月25日 | 絵のある部屋

Jacques Stella (1596-1657)
Portraits de Jacques Stella et de sa mère, Claudine de Masso
Huile sur toile - 65 x 55 cm
Vic-sur-Seille, Musée départemental Georges de La Tour
Photo : Musée départemental, Vic-sur-Seille


 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生地ヴィック=シュル=セイユに建てられた美術館を訪れた時に、併せて展示されているラ・トゥール以外の画家の作品で、ぜひ見たいと思っていたものがいくつかあった。
   
 そのひとつが、ジャック・ステラ 
Jacques Stella (1596, Lyon-1657, Paris)という画家の作品である。17世紀フランス美術がかなりお好きな方でないとご存じないかもしれない。日本では、プッサン、ラ・トゥールよりも一般に知られていないのではないだろうか。一般向けの西洋美術史の文献などでは、あまりお目にかからない。なぜ、この画家に関心を持ったのか。実は、あることで、この画家が描いた一枚の作品に興味をひかれたからだった。

 その作品とは、画家である自分と母親とを並べて描いた自画像(上掲)であり、現在、ヴィック=シュル=セイユの美術館が所蔵している。詳細に立ち入る前に、日本では専門家以外あまり知られていないジャック・ステラについて、少し記しておこう。

 ジャック・ステラは、1596年、フランス、リヨンで生まれた。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは1593年生まれであるから、ほとんど同時代人である。彼の父親フランソワ・ステラは、フレミッシュ出身の画家であり、商人でもあったが、息子ジャックに画業を伝える前に世を去った。しかし、ジャックの兄弟など家族には画家や彫刻家などがおり、芸術家の血筋を受け継いだ家系であったようだ。

 ジャックはリヨンで修業をした後、イタリア、フローレンスへ行き、1616年から1621年まで、メディチ家コシモII世の宮殿で主に版画家として雇われ働いた。同じ時、同じ場所に、ロレーヌの銅版画家として著名なジャック・カロもいた。1621年、コシモII世が亡くなった後、ステラはローマへ移り、油彩画、石版画などで名をなし、10年ほど過ごした。

 ローマでは、ジャック・ステラは、教皇ウルバンVIII世のために作品を制作した。当時、ローマにいたニコラ・プッサンの古典主義的画風から大きな影響を受け、終世折に触れ、手紙を交わす親しい友人となった。ステラはプッサンとおそらくリヨンで出会っていたのだろう。ステラが傾倒したこともあって、後年ステラの作品は、しばしばプッサンの作品と混同されることもあったようだ。ステラの作品は、彼の生地であるリヨンの美術館をはじめとして、世界中に分散、所蔵されている。古典的な美しい作品が多いが、プッサンほど重い印象を与えない。フランスにおけるプッサンの国民的画家としての評価を考えると、ステラはもっと評価されていい画家ではないかと思っているほどだ。

 ジャック・ステラはその後、1634年にはリヨンに戻り、1年ほどしてパリへ移った。リシリュー枢機卿の推薦で、ルイXIII世の王室付画家 peintre du roi の称号を授けられ、ルーブル宮殿に作業場をもらっていたと推定されている。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールも同じ称号を授与されている。文献にラ・トゥールがこの称号を付して現れるのは、1639年頃からであり、ほとんど同世代の画家であった。

 さらに、ステラは1000ルーヴルの年金も受けていたようだ。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールも、同様な年金をもらっていた可能性が指摘されているが、確認されていない。ステラとラ・トゥールは、パリなどで会った可能性もある。少なくとも、お互いの噂などを聞いていたことはほとんど間違いない(この点、ラ・トゥールの専門研究書にも触れられていない)。

 これらの点から明らかなようにい、ジャック・ステラとラ・トゥールの人生には、かなり似通ったものが感じられる。この時代のヨーロッパの画家たちが望ましい画業生活のあり方として描いたイメージのようなものがそこにある。

 そのイメージとは、先ず、生まれ育った地で徒弟などの修業を行い、その後当時の画家、芸術家たちの憧憬の地であったイタリアへ行き、時代の先端とされたローマの空気に触れ、その成果を携えて帰郷するという経路だ。ラ・トゥールについては、イタリアへ行ったか否かの確認はできていない。しかし、カラヴァジョなど当時のイタリアの画壇の風は、しっかりと受け止めている。ステラは、イタリアへ行っていたにもかかわらず、作品を見るかぎり、カラヴァッジョの影響はほとんど感じられない。むしろ、古典的なプッサンの画風に著しく近い。

 ステラは、プッサン、シモン・ヴーエなどと一緒に、パリなどで仕事をしたとみられる。プッサンはよく知られているように、ほとんどイタリアで画家としての生活を送ったが、一時パリへ戻っている。ステラは、1644年頃にはリシリュー枢機卿宮殿の装飾も手がけた。また、ステラは、プッサン、ラファエル、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品を収集していたことでも知られている。

 さて、ステラの『画家と母親の自画像』について、記したい。2007年春にヴィック=シュル=セイユのジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館を訪れた時、この作品はあいにく貸し出し中であった。ちょうどその時、画家が生まれ育ったリヨン(そしてトゥルーズ)の美術館で、この画家の企画展*が開催されており、貸し出されていた。

 最近、ロレーヌをベ
ースに、大変楽しく、貴重な情報源でもあるブログ、『キッシュの街角』の記事を拝見している時に、ラ・トゥール美術館内の光景が写真で掲載されており、そこでステラの作品(2番目の写真左)が戻っていることに気づいた。

 ステラは自分ひとりの自画像(下掲)も描いている。こちらの方は黒いローブを着て、免状のようなもの(画家ギルト入会許可書?)を手にしており、見るからにフォーマルに描かれている。画家としての誇りと緊迫感が伝わってくる作品だ。実は、2006-7年のリヨンでの企画展では、2枚の自画像を並べて展示することに大きな意味があった。

Attribué à Jacques Stella (1596-1657)
Portrait de Jacques Stella 
Huile sur toile - 84,5 x 67 cm
Lyon, Musée des Beaux-Arts
Photo : Service de presse 


 母親と並んでの自画像も大変興味深い。こちらは明らかに家族のためを意図して描かれた作品と考えられる。画家自身は、赤い色のチョッキを着て、少しくつろいでいるが、なかなかお洒落な格好で?描かれている。白い襟もしわが寄って、くだけた感じを与える。他方、母親は手袋を持ち、黒い衣服、帽子に白いブラウスで、なんとなく知的だが、緊張したお堅い?イメージだ。リヨンで教会などへ行く晴れ着だったのだろうか。衣装の歴史にはまったく疎いが、いつか調べてみたい。ステラの家系についても興味深い点がいくつかある。いずれにせよ、非常に興味深い作品として気になっている肖像画である。

 

コメント
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