それでも、二人とも分かったそうです。
90歳の母と、2,3歳年下と思われるその人との、通院中の病院での再会。
あんまり懐かしくて、その再開を驚く声も揚げもしたし、抱き合いもした、とのこと。
待合室の人も看護婦さんも、びっくりしていた、と。
それは戦争中、夫が出征し、お姑さんと幼子と自分の生活費を、砂利を運ぶ人夫として働いたこと、慣れた人たちに混じっての、初めての力仕事の辛かったことの苦労話は、繰り返し繰り返し聞いてきました。
監督係である憲兵さんが、20代の母の暮らしを不憫に思って、自宅からは空っぽの弁当箱を持ってくればいい、ここの飯場で弁当にご飯とおかずを詰めてもらえばいいと、声を掛けてもらったと、そんな話も聞いてきた。
夫が出征したあと、嫌いな言い方なのだけれど、銃後の家族には母の日々の稼ぎしか収入がなかったのです。
病院で出会ったその人は、そのときご飯を詰めてくれた飯場の女性。母子で勤めていて、若い人は赤ん坊連れだった、その自分より2つ3つ若い方の人なのだそうです。
去年、地方紙の「戦争を語るシリーズ」で母の話が掲載された時、記事を読んで、すぐ、あのときの人だと分かったので、今も新聞は切り抜いて持っている、とのこと。
戦後に生まれた私にどれだけ語っても、その風景は想像しかできない。
90歳になろうとしている2人が、その思いがけない出会いにあまりにも胸がいっぱいになって、抱き合ったと、聞くと、そうして出会うことができたのは、よかったなと思う。
母にとっては、辛かった時代を堪えてきたからこその今。
よかったね。
先方と連絡が取れるなら、温泉にでいって一晩語り明かしては、と薦める。
「『そのうち』なんて、ダメだからね。『できること』、『したいこと』は、できるとき、少しでも元気な『今』したほうかいいよ」
そういって、そのときは母に別れを告げてきた。
そして1週間後の土曜の朝の電話。
「来週の月曜日に、温泉に一泊決まったよ」と。
先方にも、私と同じ年の女の子(こんな表現いいかな(笑い)面識がないが、同じ中学だったらしい。)がいて、一晩といわずに、もう一晩でも、ゆっくりと語ってきたらいいと、いってくれたと。
2人の泊まるその部屋は、日本が国防色に染まっていたころの、忍耐の話で溢れるのだろう。
あまりにも豊かになって、どれだけ子供に語っても、届かない思いもあっただろう。
自分の辛い日々を見ていてくれた人との語り合い。
心ゆくまで、湯に浸かって、語り合ってきたらいいと思う。
その日を思って待つのも楽しみ。当日はもちろん楽しみ。そして、語り明かしたことを思い出しながら過すその後の日々にも、元気が出るといいな。
90歳の母と、2,3歳年下と思われるその人との、通院中の病院での再会。
あんまり懐かしくて、その再開を驚く声も揚げもしたし、抱き合いもした、とのこと。
待合室の人も看護婦さんも、びっくりしていた、と。
それは戦争中、夫が出征し、お姑さんと幼子と自分の生活費を、砂利を運ぶ人夫として働いたこと、慣れた人たちに混じっての、初めての力仕事の辛かったことの苦労話は、繰り返し繰り返し聞いてきました。
監督係である憲兵さんが、20代の母の暮らしを不憫に思って、自宅からは空っぽの弁当箱を持ってくればいい、ここの飯場で弁当にご飯とおかずを詰めてもらえばいいと、声を掛けてもらったと、そんな話も聞いてきた。
夫が出征したあと、嫌いな言い方なのだけれど、銃後の家族には母の日々の稼ぎしか収入がなかったのです。
病院で出会ったその人は、そのときご飯を詰めてくれた飯場の女性。母子で勤めていて、若い人は赤ん坊連れだった、その自分より2つ3つ若い方の人なのだそうです。
去年、地方紙の「戦争を語るシリーズ」で母の話が掲載された時、記事を読んで、すぐ、あのときの人だと分かったので、今も新聞は切り抜いて持っている、とのこと。
戦後に生まれた私にどれだけ語っても、その風景は想像しかできない。
90歳になろうとしている2人が、その思いがけない出会いにあまりにも胸がいっぱいになって、抱き合ったと、聞くと、そうして出会うことができたのは、よかったなと思う。
母にとっては、辛かった時代を堪えてきたからこその今。
よかったね。
先方と連絡が取れるなら、温泉にでいって一晩語り明かしては、と薦める。
「『そのうち』なんて、ダメだからね。『できること』、『したいこと』は、できるとき、少しでも元気な『今』したほうかいいよ」
そういって、そのときは母に別れを告げてきた。
そして1週間後の土曜の朝の電話。
「来週の月曜日に、温泉に一泊決まったよ」と。
先方にも、私と同じ年の女の子(こんな表現いいかな(笑い)面識がないが、同じ中学だったらしい。)がいて、一晩といわずに、もう一晩でも、ゆっくりと語ってきたらいいと、いってくれたと。
2人の泊まるその部屋は、日本が国防色に染まっていたころの、忍耐の話で溢れるのだろう。
あまりにも豊かになって、どれだけ子供に語っても、届かない思いもあっただろう。
自分の辛い日々を見ていてくれた人との語り合い。
心ゆくまで、湯に浸かって、語り合ってきたらいいと思う。
その日を思って待つのも楽しみ。当日はもちろん楽しみ。そして、語り明かしたことを思い出しながら過すその後の日々にも、元気が出るといいな。