日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

こんな体験も。 -乳がんの心配ー

2007-03-11 11:25:57 | 私の雑感あれこれ
40代の頃の自分の病気に対する気持ちとして覚えていることが、もう一つあるので、続けて書きます。
体の定期健診をしたことがないのですが、はじめて町の案内に基づいて乳がん検診をしたときのことです。
透視の装置でディスプレイに写る画像を見る。
筋肉の層に、銀杏様の形をした黒いものが写る。
二つ、三つあっただろうか。
「良かったですね。いま検診を受けて、細胞を取って調べてみましょう」
「あっ、左側にも…」
「…」
このときも、精密検査のために細胞を取る日程を入れられ、注意事項の説明を受けた。
帰りの車の運転中。
こんな時は、あわてないこと。交通事故を起こしては話にならない。
そんなことを自分に言い聞かせていた。

プリントアウトしてもらった映像を何度見つめても、左右、どちらにもある黒い銀杏様のもの…、全部で5つ、6つと数えると、いくら治療が進歩したという乳がんでも、ここまでできていたらリンパとかに転移していないはずはない、私の思考は、どうしてもそっちのほうに行ってしまうのです。

次に考えることは、
手術となると、どこの病院がいいだろうか。
乳がんの経験者や、友人のお医者さんに電話で情報収集。
「デモね、そちらは遠すぎて、もっと交通の便のいいところでないと、私ダメなの」
「明日、すぐに専門病院で再診察を受けたい」
なんて、言っていました。
お医者さんの友人いわれたこと。
「命に関わることなのに、そんな(看病に来るのに便利がいいとか)ことを優先するのは、おかしいよ」
「今、ガンであることがわかったとしても、1週間の早い遅いで、そんなに違わないから…」
びっくりのあまり、ことを焦り、軽重が狂っていたのでしょう。
でも、考えると、やっぱり、家族の生活はあるのです。
サラリーマン家庭でもないから、自営の夫に有給休暇をとって自分の看病してもらえない。
実家の母親は高齢で頼めない。
だとすると、地下鉄で通学する高校生の子供が、必要なものを届けてくれることになるだろう。
だから、できるだけ地下鉄沿線にある病院でなければ…。
こんな論理なのです。

次に思ったのが、
私は、子供たちの、将来を見ることができないのだな、
そんな程度でした。

あまりにも突然で、自分が「もっと生きたい」なんて、いうところまで、行き着かなかったのです。
もちろん、一晩中、寝付けませんでした。
まだインターネットもないときでしたから、書棚から家庭の医学の本を取り出して、食い入るように眺めていたものです。

そして、友人のお医者さんに紹介された専門病院に。
順番が来て、
手にしていた映像をみるや、
「あー、これは、膿胞ですね。ガンとは違います」
私の体から今までこわばっていた力が抜けて、うれしい一瞬でした。
専門の検査も受ける前に、夫に電話。

帰りの車はルンルン気分だったと思いますが、こっちはもう覚えていません。

「もっと生きたい」という気持ちも、それはあるはずでしょうけれど、私が味わった、あの2日間では、そこまでも行き着きませんでした。

毎日の家族の生活への影響を最小限にしなくては、そう考えた自分だったことは確かなのです。
「子供を育てなければならない」
それが、根底にあったのでしょうね。






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体験と処し方 -眼の症状から-

2007-03-11 10:10:01 | 私の雑感あれこれ
木曜日の帰宅途中、目の前に光る点が何個も輪を書くように回った。
あっ、また!。あっ、また!。
と、心細い気分になること数回。

随分前、練習中にテニスボールが当たったことから、視界に黒い斑点がでるようになり、気になって眼科に行ったときに、網膜に薄くなっている部分があるから、網膜はく離にならないようレーザー手術を勧められたことがある。その場で予約の話になり、びっくり。
そのときは、レーザー手術なんて大げさな、ボールが当たらなければ病院に行くこともなかったのに、と、どうしてもそのお医者さんの診断には気乗りせず、セカンドオピニオンが聞きたくて、別の眼科医に再診察してもらった。
別の眼科医には「確かに、網膜の薄くなっているところはありますが、早急に手術するほどでもなく…」そういわれて、そのままにしておいたのです。
そのときに、注意すべき症状として聞いていたのが、前述の「光が…」だったものですから、今度は、「いよいよ、そのときか」と思ったわけです。

網膜はく離につながったら取り返しがきかないと、そう思って、以前の診察券を探し出して翌朝眼科に。
ちなみに以前の診察券の日付は平成6年3月でした。
あー、あの時レーザー手術しなくても13年間も、大丈夫だったではないか、そう思いました。
そして、今度は手術と言われても、応じようと思っていました。
ところが…。
特に、なーんにも治療はないのです。
光る点の輪は翌日には出なくなり、飛蚊症の一つでしょうか、水面に微量の墨をたらしたときのような模様が視界に見えているのにです。
「気になるようでしたら、来週もう一度きてみてください」
それだけ。

その日一日は、点眼薬のせいで瞳が開いていたこともあり静かにしていました。
翌日は、視界の黒い模様も少なめになりました。
あー、多分、多分なのですが、
13年前に診察を受けたときは、診療所を開所して数年だったこともあり、(経営の事情もあって?)手術という治療を選択したけれど、長年の経験で今の診断なのでしょう。

お医者さん側の事情は別として、私自身が思ったのは、40代はじめの自分と、今の自分の身体に対する対応が、はっきりと違っているのだということ。
以前は、「まさか、そんな」と、考える私だった。
今は、「(多少のリスクは伴っても)必要な修理はしなくては」と、思ったのは確か。
どこで、どう線が引かれているわけでもないけれど、その違いはしっかりとあります。
そんな風に年を重ねていくのですね。
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