日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

土曜日の電話。

2009-02-10 12:15:32 | 私の雑感あれこれ
少し波風が立っている。

夫の母が亡くなって、「49日の法事には、夫ひとりだけ出席して欲しい」と。

突然の葬式のあと、いろいろ思い出す。
夫の母のケガでの入院、そして退院。高齢者施設への転居と、2年余りの日々を思い巡らしながら過ごした。
温泉で、息子3人を眺めて、「極楽だ」と喜んだ日があって、あれは良かったね、と思いだしたりもした。

もちろん、私の実家もそう離れていないから、法事が済んでから一晩泊ってくるつもりだった。去年の温泉行きに同伴したときに、自分の実家に一泊して以来、私も帰省していない。
でも、電話は上記の内容。
三男が郷里の近くに住んでいる。
事情があって、三男の妻は20年程夫の実家に顔を出さない。
電話の取り次ぎもしない。
だから、ケガをした、とか、施設で倒れた、という知らせも、遠い我が家に電話がある。という不自然な状況で、不義理してきた親せきを頼りながら、やりくりしてきた。
このたびのお葬式で20年ぶりに三男の妻の顔をみた。
これは、よいことと、思った。

遠く離れているものは、口出ししては行けない、これが鉄則なのは判る。
近い人が大変、これも理解できる。
温泉に連れて行こう、といっても、引っ越しといっても、実際には遠いところの人の尽力で成り立ってきたのに。

高齢者施設に10本20本と電話で問合せをしたり、看護婦さん、ソーシャルワーカーさんとの打ち合わせ、いろいろ経験させてもらった。
介護制度の仕組みも理解できた。
これは収穫。
こんな風に役立つこと、まんざらイヤではない。世話やきは好きなタイプです。

でも、そんな風に故人と関わってきたと思っていたけれど、「法事には出ないでほしい」と。
「?」

「大したことではないよ。でなければそれでいいんだから」と夫。
「出なくてもよいし、喪主を務めた人の意図なのだから、そうなるでしょう」これは私の結論。

でも、あれだけ関らせておいて、なんのひとこともなく、オハライバコ、なんてコレって、なーに?

一度だけ、私の予定があったかで、夫が一人で母親を見舞ったことがあったけれど、夫は「自分の妻は非協力」と、咎めたのではないだろうか。

お通夜の日の午後、長男の妻と私たち夫婦で母の住んでいた部屋を整理しに行った。
二つのハンドバック、洋服の何枚かには見覚えがあったけれど(母の日などに送ったもの)、いちいち懐かしんでは居られない。誰かがしなくてはならない整理だからと、後に来た人が処分できるように整えてきた。

ああ、自分のした仕事を数えてはいけない。
仁徳不足。

でも、不思議なのです。
どうして、○○の都合があるから、長男と二男の妻は法事に出ないでほしいと、いってもらえないのか。

理由は察しろってこと?
説明すべき立場なのは誰だろう。
・・・。
「ヨメは黙って受け入れろ」なのかなー。

法事に出たいわけではない。
ただ、何故、ここにきて、妻が排除されないといけないのか、
その理由も聞かされなくて、
説明しなくても、まかり通るという論理。
これは、おかしい、と思う。















コメント (3)
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