日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

おいおい、なにそれ!

2009-03-26 09:47:02 | 社会問題
朝日新聞の1面に、東京品川区では、幼稚園児に読み書き計算を教えるようにする、と。
教育の荒廃というのか、小学1年生が教室で落ち着きがない、トイレに立つ子がいると、ついていく子もいる、とか云々。
だからって、教育を早めればいいってものじゃないでしょう。

人が生れて、育つってことはどういうことか、知識を早めに注入するってことではないと思うのだけれどなー。
早期教育が負担でない子と、そうでない子がいる。民間教育機関は、営業もあって「早期教育」を謳ったりする。そこのところを勘違いして、公教育の場で、早めに知識注入して、子供が賢くなると思う発想、それがプロだとすると質があまりよくないようにおもいます。

この間まで「ゆとり教育」って、旗を振っていたのに、いったいなぁーに。
知識は興味が芽生える頃に、でよいと思うし、興味、関心には個人差がある。だから集団教育は、やっぱり多勢に合わせるのが本筋。
学習に集中できない傾向が顕著ということで、幼稚園で、読み書き計算?
コンプレックスや、レッテルをより早く貼る、それだけのことになると思うんだけどな。

ああ、いま読んでいる本「夕映えの人」(加賀乙彦著)に、至極うなずける文章がありましたので、書き留めます。
主人公は60代になった精神科医(著者自身も精神科医で作家)で、長男が電子工学の専門分野に進み、長女が自分と関心が違い、何かに集中して興味をもつタイプでなかった成育歴を振り返りながら、記している。

――引用――

(娘が)クラブ活動で夜遅くなっても、飲み会とやらでかなりの酩酊状態で帰ってきても、やきもきしている友子(妻)とは一線を画し、別に文句を言う気にならなかったし、学校の成績についても口出しは一切しなかった。その点、私の娘への態度は放任に近かった。いや、子供の育て方について、私は私なりの方針は持っていたのだ。子供は、生まれつきの性格と能力を持っていて、それを邪魔しないように伸ばしてやるだけが親の仕事だ、親というのはそれくらいの力しか持っていない、という自覚である。

――引用ここまで――

もう一度、記します。

「子供は、生まれつきの性格と能力を持っていて、それを邪魔しないように伸ばしてやるだけが親の仕事」

その路線に納得です。
子供を育てるってことは、その路線以上でもなし、以下でもなし。



コメント (3)
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