去年亡くなった、加藤周一氏の-わが回想ーと副題が付いた「羊の歌」を、通勤の行き帰りで読んだ。
朝日新聞に、夕陽妄語のタイトルで寄稿されていたのを、ときおり拾い読みしていた程度しか知らない人でした。
もともとは医学部卒なのに、文系の世界の文筆家として生きてこられたということも判り、回想記だったら読み通せるかと手にした。
というか、以前読んだ、同じく医師で小説を書いてこられた加賀乙彦さんに近い世代であり(彼の長編「永遠の都」は、ダイナミックで読み応えがあったから)、加藤さんの目にはどう映っていたのかと、そんな興味もあった。
1968年に新書本になっているから、もう40年以上前、40代後半に書かれたものです。
母方の祖父の事業が成功し、東京で資産を増やしたひと。複数の女中がかしずき、また妻以外にも女性がいる暮らし。洋行もするし、フランス語の使いこなす祖父。
長男は東大医学部に行くも早世。姉は埼玉の素封家の二男と結婚。この長男がまた東大医学部出の医師。二女は政治家に嫁がせる。
永遠の都でも、母方の祖父は病院経営と事業で莫大な資産を作ったし、あの頃の東京というのは、才覚ある事業家が割拠していたのだろうと、思い巡らしたり。…それは今もか。
二女の夫は学究肌。ところが大学から出て、開業したから、肌に合わないのだろう、患者が滅多に来ない医院となる。
その長男が著者であり、妹がひとりいる。
学究肌の父と誠実な母の作る家庭で育つ著者は、世間の荒波にもあわず、祖父の事業が傾くにしたがって、自分達の暮らし向きも、ダウンサイジングして質素になる程度で、華美に関心も示さず、求めもせず、そして、加賀氏の家と同じように、教育熱心な環境に育つ。
よく、親が勉強のことをとやかく言わない、という言い方をするけれど、それは、生活のことで一杯一杯だからであって、両家とも、中学受験の受験勉強に親が必死になるところが、面白い。
なーんだ、あの老紳士の子供の頃には、親は家庭教師をつけたり、予備校へ通わせたり、そんな風な子供時代だったのか、なんて風に、思ってみたりする。ふふふ。
だから、ここ何十年来の親が子供の受験に眦を決するのをとやかくは言えません。
全部ではないでしょうが、親とは、我が子のためには、そうなるものなのらしいです。もちろん、全部とは言いませんが。
で、飛び級で中学進学、旧制高校、大学医学部のコース。ここで戦争が、12月9日に出会うわけだけれど、ラジオ、新聞の報道を鵜呑みにすることはない。そう彼の家庭そのものが。そして、大学内でも、居心地は良くないだろうけれど、きつい思想統一、抑圧に会うこともなく終戦。
学徒動員で在学中でも徴兵になったと聞いたけれど、彼には徴収礼状はこなかった。優秀な人は残したんだと聞いたことがあるけれど、その一人だったのでしょうか。医学部に通いながら、文学部の講義を熱心に聴き、詩作仲間との交友に、その後世に作品を残した人たちの名前が並ぶ。
世俗的な暮らしに染まらないで生きている父を持ち、それを否定する声が聞こえてくることもなく、知的興味、好奇心を生涯にわたって耕した方なのでしょう。
彼は、自分の生きている階級を中産階級と表現しています。
大地主にのし上がった祖父の土地に、大きな屋敷を建てて医院をやっている暮らしが中産階級? 謙遜ではなくて、それは的確な言い方?そんな風に思ったことも記しておきます。
この本には続編もあります。
追記:そういえば思い出しました。故山田風太郎さんも、あの戦争の時期に医学部の学生だったけれど、文学三昧の生活しておられた様子を書いた「山田風太郎日記」(こんなタイトル?)を読んだことがあります。食べるものにもこと欠く学生生活の日々のなかでも、克明に記録してある日記には読み応えがありました。
読み手として、この時代を生きた人の描かれたものを読むときは、どんな状況下でも、心根までは、洗脳されない、されたくない、そんな声を探しているところがあります。
朝日新聞に、夕陽妄語のタイトルで寄稿されていたのを、ときおり拾い読みしていた程度しか知らない人でした。
もともとは医学部卒なのに、文系の世界の文筆家として生きてこられたということも判り、回想記だったら読み通せるかと手にした。
というか、以前読んだ、同じく医師で小説を書いてこられた加賀乙彦さんに近い世代であり(彼の長編「永遠の都」は、ダイナミックで読み応えがあったから)、加藤さんの目にはどう映っていたのかと、そんな興味もあった。
1968年に新書本になっているから、もう40年以上前、40代後半に書かれたものです。
母方の祖父の事業が成功し、東京で資産を増やしたひと。複数の女中がかしずき、また妻以外にも女性がいる暮らし。洋行もするし、フランス語の使いこなす祖父。
長男は東大医学部に行くも早世。姉は埼玉の素封家の二男と結婚。この長男がまた東大医学部出の医師。二女は政治家に嫁がせる。
永遠の都でも、母方の祖父は病院経営と事業で莫大な資産を作ったし、あの頃の東京というのは、才覚ある事業家が割拠していたのだろうと、思い巡らしたり。…それは今もか。
二女の夫は学究肌。ところが大学から出て、開業したから、肌に合わないのだろう、患者が滅多に来ない医院となる。
その長男が著者であり、妹がひとりいる。
学究肌の父と誠実な母の作る家庭で育つ著者は、世間の荒波にもあわず、祖父の事業が傾くにしたがって、自分達の暮らし向きも、ダウンサイジングして質素になる程度で、華美に関心も示さず、求めもせず、そして、加賀氏の家と同じように、教育熱心な環境に育つ。
よく、親が勉強のことをとやかく言わない、という言い方をするけれど、それは、生活のことで一杯一杯だからであって、両家とも、中学受験の受験勉強に親が必死になるところが、面白い。
なーんだ、あの老紳士の子供の頃には、親は家庭教師をつけたり、予備校へ通わせたり、そんな風な子供時代だったのか、なんて風に、思ってみたりする。ふふふ。
だから、ここ何十年来の親が子供の受験に眦を決するのをとやかくは言えません。
全部ではないでしょうが、親とは、我が子のためには、そうなるものなのらしいです。もちろん、全部とは言いませんが。
で、飛び級で中学進学、旧制高校、大学医学部のコース。ここで戦争が、12月9日に出会うわけだけれど、ラジオ、新聞の報道を鵜呑みにすることはない。そう彼の家庭そのものが。そして、大学内でも、居心地は良くないだろうけれど、きつい思想統一、抑圧に会うこともなく終戦。
学徒動員で在学中でも徴兵になったと聞いたけれど、彼には徴収礼状はこなかった。優秀な人は残したんだと聞いたことがあるけれど、その一人だったのでしょうか。医学部に通いながら、文学部の講義を熱心に聴き、詩作仲間との交友に、その後世に作品を残した人たちの名前が並ぶ。
世俗的な暮らしに染まらないで生きている父を持ち、それを否定する声が聞こえてくることもなく、知的興味、好奇心を生涯にわたって耕した方なのでしょう。
彼は、自分の生きている階級を中産階級と表現しています。
大地主にのし上がった祖父の土地に、大きな屋敷を建てて医院をやっている暮らしが中産階級? 謙遜ではなくて、それは的確な言い方?そんな風に思ったことも記しておきます。
この本には続編もあります。
追記:そういえば思い出しました。故山田風太郎さんも、あの戦争の時期に医学部の学生だったけれど、文学三昧の生活しておられた様子を書いた「山田風太郎日記」(こんなタイトル?)を読んだことがあります。食べるものにもこと欠く学生生活の日々のなかでも、克明に記録してある日記には読み応えがありました。
読み手として、この時代を生きた人の描かれたものを読むときは、どんな状況下でも、心根までは、洗脳されない、されたくない、そんな声を探しているところがあります。