日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「格差と活力」 本日の朝日新聞 経済気象台の引用です。

2009-03-17 21:26:45 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
経済の専門家が輪番で書いておられるコラムです。
しばしば目を通す。
文章の長さも負担感がないので、素人には読みやすいコラムです。
喧々諤々と昨今のコメンテイターは喧しいですが、このスペースに書かれた書き手の文意に頷いています。
読まれた方もいらっしゃるでしょうか。
そのまま引用しておきます。

「格差と活力」 2009年3月17日

 水が高い所から落下することによってエネルギーを生むように、宇宙のすべてのエネルギーは、その始まりにおいて生じたビッグバンによる格差を平準化するプロセスから生じる。

 その結果として、すべての格差が無くなった時、この宇宙には永遠の死と静寂が訪れることになる。人間の社会も同じことである。格差の存在が人々に活力をもたらし、格差を求める本能が進化のもとを作る。

 かつて全盛時代のソビエト連邦を訪れて、人々の無気力に驚いたことがある。それはそうであろう。平等をその社会の中心にすえた時、努力しようがしまいが、得られる結果は平等である。

 ということになれば、人々がやすきにつくことは当然で、出来るだけ働かないで楽をしようとする。労働意欲のわきようがないのである。結果として作られた商品は陳腐極まりないもので、激烈な国際競争の中では落ちこぼれた。最近、格差社会を否定する声が強いが、活力ある社会を作るためには格差は必要なのだ。

 しかし絶対に許されてはならない格差もある。それは「生存の権利」に関する格差だ。

 人は生まれた時、その環境において格差がある。貧富によって、その能力を発揮する可能性が阻害されることがあってはならず、生まれた子は、その才能の発揮される可能性において平等でなければならない。

 国や社会が最も力を入れるべきは実に、この点につきる。人々がその個々の才能をフルに動かして格差を追究しうる社会。そのような社会こそ、人々を幸福にする活力ある社会である。

 最近の格差論がいささか感傷論的に見えるので、あえて一文を奏した。(可軒)


コメント
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