昨日は、天安門事件から20年、というニュースが多かった。
そう、もう20年なのですね。
自国民に向かって銃口を向ける、そんな街中の、まさか、という映像が流れて、それが、同時代の隣国の現実か、と強烈な記憶に残っています。
丁度その頃は、中国残留孤児の日本語を教えるボランティアをしていた頃でした。
自国政府の民主化運動への加圧に対して、日本に留学している学生たちも、街の中心部で反対運動を繰り広げていました。
その様子がテレビ報道されたから、帰国は危ない、とか、いろんな緊張した情報が飛び交ったり、
・・・20年経ったのですね。あのころを結構クリアに思い浮かべることができます。私、まだ30代。今風の言い方で、アラフォー(笑)。
夫の職が変わって、その街に住むようになって6年目。
独立して、私が仕事に出るようになって3年目、だったんだー!
小学校に入った末娘を残して、仕事に行きながら、尚且つ、日曜日に街中まで地下鉄で通ってボランティア。
結構、頑張りたかった。無理していた…んだろうなー。30代の私。
仕事を終えて帰ってから、実は、週一で(末娘の通園友達の中学生のお兄ちゃんとか)家庭教師もしていた。6歳、7歳のお母さんに甘えたい末娘を小脇に抱え、スキンシップしながら(笑)。
世の中バブルで、消費天国、独身貴族、という言葉が飛び交っていたときだったなーと、懐かしい。
で、借家住まいから、持ち家になったのも、その年。
あー、20年、と感慨深い。
あの頃の土地の値上がり率といったら、当事者じゃないと記憶も薄れるでしょうね。
その地価の最高値辺りで、今の土地に引越したのだから、なんとまぁ!だけれど、健康というご褒美もあって、ローン生活は早く卒業できました。
そう、引越しと共に日本語教授ボランティアは終了。…遠くなった!
でも、家庭教師は、子供の親が送り迎えして、我が家にやってきたり!
娘さんのお父さんが、車の中で家庭教師終了まで待機していたっけ!
ああ、20年前。私のアラフォー。
新しい持ち家の庭に、山茶花の生垣を植えていたのも記憶にある。
南側10本。西側9本。あわせて19。19歳だったらいいな~。でもプラス20で39、そう思いながら植えました。
今、またまた、プラス20で59。
だから、今のこの家は20歳です。
結構痛みも出てきました。
一番大きい変化は・・・
なんと、答えると思いますか?
それは、
賑やかだった子供連中が育ち、
二人家族になったこと。
初めての新居で泊まって、「なんだか、あんまりきれいだから、旅館みたいで、帰らなくっちゃならないような気がするよ」と、子供の台詞。
賑やかに、一緒に喜んで、犬を飼い、ゲームをし、ピアノを弾き、受験勉強の時代に突入して、漫画を描き・・・
いろんなことを、母親の記憶に残して、巣立って行った。
私は、どれだけ変わった(成長した)だろうか。
中国は、政権政党は同じだけれど、指導者層はすっかり若返り、外国との貿易があっての経済発展だと熟知する国になった。
情報が瞬時に世界を駆け巡る、というネット社会が出現した。
89年という年が、結構節目の記憶が残っているものだから、昨日のニュース映像で、ひとり懐古でした
そう、もう20年なのですね。
自国民に向かって銃口を向ける、そんな街中の、まさか、という映像が流れて、それが、同時代の隣国の現実か、と強烈な記憶に残っています。
丁度その頃は、中国残留孤児の日本語を教えるボランティアをしていた頃でした。
自国政府の民主化運動への加圧に対して、日本に留学している学生たちも、街の中心部で反対運動を繰り広げていました。
その様子がテレビ報道されたから、帰国は危ない、とか、いろんな緊張した情報が飛び交ったり、
・・・20年経ったのですね。あのころを結構クリアに思い浮かべることができます。私、まだ30代。今風の言い方で、アラフォー(笑)。
夫の職が変わって、その街に住むようになって6年目。
独立して、私が仕事に出るようになって3年目、だったんだー!
小学校に入った末娘を残して、仕事に行きながら、尚且つ、日曜日に街中まで地下鉄で通ってボランティア。
結構、頑張りたかった。無理していた…んだろうなー。30代の私。
仕事を終えて帰ってから、実は、週一で(末娘の通園友達の中学生のお兄ちゃんとか)家庭教師もしていた。6歳、7歳のお母さんに甘えたい末娘を小脇に抱え、スキンシップしながら(笑)。
世の中バブルで、消費天国、独身貴族、という言葉が飛び交っていたときだったなーと、懐かしい。
で、借家住まいから、持ち家になったのも、その年。
あー、20年、と感慨深い。
あの頃の土地の値上がり率といったら、当事者じゃないと記憶も薄れるでしょうね。
その地価の最高値辺りで、今の土地に引越したのだから、なんとまぁ!だけれど、健康というご褒美もあって、ローン生活は早く卒業できました。
そう、引越しと共に日本語教授ボランティアは終了。…遠くなった!
でも、家庭教師は、子供の親が送り迎えして、我が家にやってきたり!
娘さんのお父さんが、車の中で家庭教師終了まで待機していたっけ!
ああ、20年前。私のアラフォー。
新しい持ち家の庭に、山茶花の生垣を植えていたのも記憶にある。
南側10本。西側9本。あわせて19。19歳だったらいいな~。でもプラス20で39、そう思いながら植えました。
今、またまた、プラス20で59。
だから、今のこの家は20歳です。
結構痛みも出てきました。
一番大きい変化は・・・
なんと、答えると思いますか?
それは、
賑やかだった子供連中が育ち、
二人家族になったこと。
初めての新居で泊まって、「なんだか、あんまりきれいだから、旅館みたいで、帰らなくっちゃならないような気がするよ」と、子供の台詞。
賑やかに、一緒に喜んで、犬を飼い、ゲームをし、ピアノを弾き、受験勉強の時代に突入して、漫画を描き・・・
いろんなことを、母親の記憶に残して、巣立って行った。
私は、どれだけ変わった(成長した)だろうか。
中国は、政権政党は同じだけれど、指導者層はすっかり若返り、外国との貿易があっての経済発展だと熟知する国になった。
情報が瞬時に世界を駆け巡る、というネット社会が出現した。
89年という年が、結構節目の記憶が残っているものだから、昨日のニュース映像で、ひとり懐古でした