日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

井上ひさし著「京伝店の烟草入れ」

2010-07-31 08:34:51 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先日なくなった、井上ひとしさんの「京伝店の烟草入れ」を読んだ。
この作品は比較的初期の作品。でも、手にした文庫本は2009年発行のもので、ご当人の、「著者から読者へ」という一文がついている。また、文庫本だから解説もあるし、その後には年譜も。
この年譜を眺めながら、思った。
なんという沢山の作品を世に送り出した人だろう、と。
「ひょっこりひょうたん島」の作者で、話題の作品の出版広告をリアルタイムで見、彼の社会的発言にも接してきていたのですが、2、3冊程度を読んだ程度でした。
「脚本の出来上がりが間に合わなくて」の話題で「遅筆堂」と呼ばれているなど、小耳にはさんで、なんで、そんな「わかっているのに期限に間に合わない人の作品を待つの?」なんて、素人そのものでした。
このたび年譜をみて、作家井上ひさしって、蜘蛛みたいな人だったのだ、と思いました。
蜘蛛が糸を身から繰り出すように、机に向かって、言葉を紡ぎだして生き切ったひとなんだ、と。
彼は、役者さんに「台詞の正確さ」を求めた人だった、とききました。
自分の身を削って繰り出す言葉であり、その言葉でこそ伝えたかったのでしょう。
ご本人が亡くなっても、紡ぎだした作品が残っています。
そして、友人の勧めで、読み始めた1冊が「京伝店の烟草入れ」です。

京伝は山東京伝のこと。田沼意次の政治で、経済が傾いて、松平定信の改革で華美が戒められ、質素倹約を旨とすべし、で戯作者、黄表紙作者京伝が冷や飯を喰っているころの話。
先日「江戸東京博物館」に行く機会があったが、そこでの展示物を思い浮かべながら、だから、タイミングもよし、です。
徳川幕府が安定してくると、絵師、刷り師、本屋、そんな食べるための生業だけでなく、武士階級の調達物のためでなく、庶民がたのしみものを求める世相が生まれたのだと、思いやる。
まだ、産業としての規模は小さいから、みんな五十歩百歩。で、そんなところから、評判のよしあしがあったり、富を蓄えたところに、親類縁者が群がったり。
作者井上さんが、過去の人の名を着せて登場人物を動かしているのだけれど、書かれている庶民の心根に、共感もするし、説得もされてしまう。だから引き込まれる。
大説ではなく、小説、小説ではなく、戯作。
大上段に説をぶち上げるのではなく、こそっと皆さんに、耳打ちするかのように語られる噂話の如くの書き振りが、井上さんが皆さんに提供したかった戯作の真骨頂なのでしょう。

〔番外余談〕
テレビに映った柔道家が、バッチを付けてもらって「国民のために頑張ります」ってコメント、どんな気持ちで、私たち(国民)は、うけとめたらいいのでしょう。
コメント
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