紙とエンピツが(前記事の場合は、ボールペンだったけれど)あれば・・・、の事例を思い出したので、早朝のつれづれに。
その1
引越しして環境が変わったばかりで、即3年保育の幼稚園に入園した息子。
初めての社会生活である幼稚園になかなかなじめず、通園の準備をして、幼稚園バスまで送ろうとしても、塀の隅にへばりついて「行きたくない」の意思表示。
そんな毎日に思案中の若いお母さんが、初めての先生との懇談で、これまた、部屋の隅を指して、「いつも、あの角に(へばりついて)いるんですよ」と。
なんと、せつない。
姉と同じ幼稚園に行くことを、あんなに楽しみにしていたのに、
彼にとってイメージしていた幼稚園と、実際とのズレを察知して、「イヤだ」のサインは母親にも辛い。
で、若い先生にお願いしたのを覚えている。
「工作が大好きな子です。空き箱とハサミやテープがあれば、熱中しますので」
「まだ、ハサミの使い方を教えていませんので、危ないから持たせられません」
「それでは、紙、書き損じの反古の紙でいいですから、紙とエンピツを与えてやってくれませんか」
「紙とエンピツなら、それはできます」
その後、紙とエンピツを使わせてもらったのでしょうか。
壁にへばりついて、時間が過ぎるのを待つ、ということはなくなったようです。
紙とエンピツが辛かった時間から自分を救ってくれる、
もてあましていた時間を豊かにしてくれる
3歳の子供のエピソードです。
その後、ハサミ使用もOKになり、得意の工作で本領発揮。
空き箱で鉄人28号を作って、年長さんの男の子がびっくりしていたよ、というあたりから、通園がイヤじゃなくなりました。
3歳4歳頃でも、社会生活の中では、「芸は身を助く」なのだと実感したシーンです。
その2
「紙とエンピツがあれば、何でも描けるんだよ」と、その子が言ったのは、10歳頃だったでしょうか。
「どんな洋服でも着せることができるし、でしょ?自分が描くだけでできるのだから」
漫画家を夢見て、ペンとインク瓶入りのインクをそろえていましたっけ。
友達と競い合って小学校の図書室の本を借りて読んでいた頃でもあります。
親から見ると、自分の世界を楽しんでいる夢見る夢子さん、に見えたりもしました。
書いたからには、読んでもらいたい、そんなものです。
で、彼女もそうだったのでしょう。
クラスの仲間に配布したり、投稿したり、
そのうち素人漫画サークルに参加して・・・。
熱中し、夢中になり、のめりこみ、昼夜逆転の日々が起こりました。
紙とエンピツがあれば、楽しませることができる、
から始まって、ファンレターがワンサカくる、ということが現実になったのです。
今、「井上ひさし江戸小説集『京伝店の烟草入れ』」を読んでいます。
京伝は山東京伝のこと。その弟子たちが、戯作で当世庶民の興を得ようと、あの手この手の面白絵本を編み出す世界が書かれています。黄表紙です。
この本を通勤電車で読みながら、あー、この黄表紙の世界が、かつて、漫画を自費出版して頒布するということに、通じるのだ、と、ひとり合点しているところです。
小説が高尚で、漫画は通俗って、どうして言える?
その方法が、文章であるか、漫画か、ってことでしょ。
なみだが出た、という感想をくれる人まで、いるんだし、
小説だって、つまらない内容のものもあるだろうし・・・
ヒットした漫画は、何百万のひとに影響を与えられる、
そんな、抗弁を苦々しい顔の親(ワタシ)にイッパイ並べながら、
夜どおし、机に向かっていた。
紙とエンピツもその頃には、パソコン利用も混在していましたが・・・。
ああ、彼女のアレは黄表紙、だったのか!
もちろん、江戸期の黄表紙にも、つまらないものが跋扈していたようですが、ほろりと人情味があったり、ストンと胸に治まる話もあったりで、それが町人文化なのでしょうね。
教科書に出てきた「黄表紙」は暗記だけの語彙でしたが、先日訪れた「江戸東京博物館」でみた江戸の光景や、『京伝店の烟草入れ』の世界を思うと、ああ、今日も(既に10年前のことですが)、「(紙とエンピツで)戯作したい連中のいること」、コレって、同じなのだと思う次第です。
その1
引越しして環境が変わったばかりで、即3年保育の幼稚園に入園した息子。
初めての社会生活である幼稚園になかなかなじめず、通園の準備をして、幼稚園バスまで送ろうとしても、塀の隅にへばりついて「行きたくない」の意思表示。
そんな毎日に思案中の若いお母さんが、初めての先生との懇談で、これまた、部屋の隅を指して、「いつも、あの角に(へばりついて)いるんですよ」と。
なんと、せつない。
姉と同じ幼稚園に行くことを、あんなに楽しみにしていたのに、
彼にとってイメージしていた幼稚園と、実際とのズレを察知して、「イヤだ」のサインは母親にも辛い。
で、若い先生にお願いしたのを覚えている。
「工作が大好きな子です。空き箱とハサミやテープがあれば、熱中しますので」
「まだ、ハサミの使い方を教えていませんので、危ないから持たせられません」
「それでは、紙、書き損じの反古の紙でいいですから、紙とエンピツを与えてやってくれませんか」
「紙とエンピツなら、それはできます」
その後、紙とエンピツを使わせてもらったのでしょうか。
壁にへばりついて、時間が過ぎるのを待つ、ということはなくなったようです。
紙とエンピツが辛かった時間から自分を救ってくれる、
もてあましていた時間を豊かにしてくれる
3歳の子供のエピソードです。
その後、ハサミ使用もOKになり、得意の工作で本領発揮。
空き箱で鉄人28号を作って、年長さんの男の子がびっくりしていたよ、というあたりから、通園がイヤじゃなくなりました。
3歳4歳頃でも、社会生活の中では、「芸は身を助く」なのだと実感したシーンです。
その2
「紙とエンピツがあれば、何でも描けるんだよ」と、その子が言ったのは、10歳頃だったでしょうか。
「どんな洋服でも着せることができるし、でしょ?自分が描くだけでできるのだから」
漫画家を夢見て、ペンとインク瓶入りのインクをそろえていましたっけ。
友達と競い合って小学校の図書室の本を借りて読んでいた頃でもあります。
親から見ると、自分の世界を楽しんでいる夢見る夢子さん、に見えたりもしました。
書いたからには、読んでもらいたい、そんなものです。
で、彼女もそうだったのでしょう。
クラスの仲間に配布したり、投稿したり、
そのうち素人漫画サークルに参加して・・・。
熱中し、夢中になり、のめりこみ、昼夜逆転の日々が起こりました。
紙とエンピツがあれば、楽しませることができる、
から始まって、ファンレターがワンサカくる、ということが現実になったのです。
今、「井上ひさし江戸小説集『京伝店の烟草入れ』」を読んでいます。
京伝は山東京伝のこと。その弟子たちが、戯作で当世庶民の興を得ようと、あの手この手の面白絵本を編み出す世界が書かれています。黄表紙です。
この本を通勤電車で読みながら、あー、この黄表紙の世界が、かつて、漫画を自費出版して頒布するということに、通じるのだ、と、ひとり合点しているところです。
小説が高尚で、漫画は通俗って、どうして言える?
その方法が、文章であるか、漫画か、ってことでしょ。
なみだが出た、という感想をくれる人まで、いるんだし、
小説だって、つまらない内容のものもあるだろうし・・・
ヒットした漫画は、何百万のひとに影響を与えられる、
そんな、抗弁を苦々しい顔の親(ワタシ)にイッパイ並べながら、
夜どおし、机に向かっていた。
紙とエンピツもその頃には、パソコン利用も混在していましたが・・・。
ああ、彼女のアレは黄表紙、だったのか!
もちろん、江戸期の黄表紙にも、つまらないものが跋扈していたようですが、ほろりと人情味があったり、ストンと胸に治まる話もあったりで、それが町人文化なのでしょうね。
教科書に出てきた「黄表紙」は暗記だけの語彙でしたが、先日訪れた「江戸東京博物館」でみた江戸の光景や、『京伝店の烟草入れ』の世界を思うと、ああ、今日も(既に10年前のことですが)、「(紙とエンピツで)戯作したい連中のいること」、コレって、同じなのだと思う次第です。