日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

こんな至福を味わって

2013-07-03 06:58:01 | 
弊ブログは「至福」バーゲンセールみたいですが、
ワタシ、喜び屋、感慨屋、なのです。
割り引いて読み流してください。

電車の中で読書しようとバックを漁ったけれど、目的の新書は通勤バックには入っていなくて、長らく入れっぱなし状態で中断していた文庫本を読み始めた。
その本とは「ローマ人の物語24 賢帝の世紀(上)」です。
時代も下って、紀元2世紀頃のトライアヌス(5賢帝のひとり)のダキアの征服とその後の治世が書かれています。
塩野さんの「ローマ人の物語」を読むことは、ワタシにとって西洋史の講義を受け始めたようでした。高校時代は長いカタカナ名ばかりで到底好きにはなれなかった世界史でしたが、紀元前の出来事がその時代に文字化されて今に残っており、その内容(人間のやること)は、今の私たちでも理解できたり、共通した思いだったりすることを知りました。当時の文章家(物書き)のこの著作は評判がよかったとか、カエサルは名文家で、自分の行軍の著作「ガリア戦記」でつづっているのだとか、整理して学んでいる。
そして、関心ごとのひとつに、紀元1年に誕生したキリスト教がどのように受け入れられていったか、ということがありました。

自分で選択した講義なものですから、自主休講ばかりで、ちっともはかどっていなかったのです(苦笑)。
で、一昨日の手持ち無沙汰に仕方なく開き、数ページ読み進めたところに、
東方の属州の管理官プリニウスと皇帝トライアヌスとがやり取りした書簡が、翻訳文で引用されている。
異教徒キリスト教者をどう処罰すべきか。
その断罪の仕方。
匿名の告訴については、どう対応すべきか。
改宗したものは、許すべきか。

多神教のローマ帝国である。
キリスト教も、多くの神のひとつとして加える、という展開もありだろうけれど、一神教であるキリスト教徒には受け入れられないのです。
である以上、賢帝トライアヌスであっても、キリスト教徒の集会に対する弾圧を容認していました。ローマ帝国に不穏をもたらすものを排除すべきという意思でしょうか。

紀元2世紀頃といえば、日本は縄文から弥生へといったところ。
この歳でも知らないことが多すぎて、知ることの一つ一つに、ウレシイという感慨が湧きます。
こんな、実生活では不毛な楽しみを楽しむ癖を手放さないワタシは、きっとちょっと厄介で偏屈ものなのかもしれません。
でも、「本の世界に知る喜びがある」ことを知ってしまっているから、愛想のよい、あつかい易いおばあさんにはならないのかも、そんな思いもついて回ります。うっふふ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする