昨日、夕飯の準備を終えて、歯医者から戻ってくる夫を待っている間、いつもは読むことのない夕刊(日経新聞)の最終ページ「こころの玉手箱」のコーナーを読んだ。
はじめの数行を書き出すと
フィレンツェで同棲していた自称詩人の男性との間に、10年目に子供ができた。妊娠と同時に生活力のない彼との別れを決意した。「あたしが面倒を見なくちゃならないのはこの子、彼ではない」。そんな責任感がわいたのです。すったもんだの末、現地の産院でひとりで産んだ。男の子だった。
おっ、誰だ、この書き手、と見ると「漫画家 ヤマザキマリ 3」と。
そういえば、古代ローマの浴場をテーマにした漫画家がいたから、彼女のことかしら、と。ついはじめから読みたくなって、1、2も引っ張り出して読みました。
18で、絵の勉強でフィレンツェに出かけてからイタリア暮らしの彼女。札幌に戻る。
子供がいることを知らされていなかった母は、
-夫ではなくいきなり孫を見せられた母は、「しゃあない、孫の代までは私の責任だ」といった。-日中、母親に預けて、イタリア語の非常勤講師などをしながら生活費稼ぎをする。
こんなダイナミックもありなんだ、と、ココロの中で喝采している部分がある。
当事者にとっては、一瞬一瞬が真剣な選択だったでしょう。
世の中小説よりも奇なりってこと、あるもんね、とも。
母親と一緒にいられない寂しさを伝える息子とのエピソードの話題のあと、再婚したそうで、前向きであることが、魅力なのでしょうね。
怖がりで、安全な道を選んでしまうワタシなのですが、こんな、自分の足で闊歩する女性のエピソードの応援者的な面は持ち合わせています。
ものごと、外野から論評するのは楽、と言うのは百も承知なのですが、こんな選択をしながら生きているひとに、座布団一枚!という思いになるのです。
舗装された道では飽き足らなくて、踏み分け道に入っていく、いや自分で踏み分けて道を作っていく、そんな人はパワフルだな、と眺めています。
自分の器量は承知。
だから、マイウェーをいくしかないけれど、
パワフル人生を歩んでいる人の応援者にはならなくてはね。
はじめの数行を書き出すと
フィレンツェで同棲していた自称詩人の男性との間に、10年目に子供ができた。妊娠と同時に生活力のない彼との別れを決意した。「あたしが面倒を見なくちゃならないのはこの子、彼ではない」。そんな責任感がわいたのです。すったもんだの末、現地の産院でひとりで産んだ。男の子だった。
おっ、誰だ、この書き手、と見ると「漫画家 ヤマザキマリ 3」と。
そういえば、古代ローマの浴場をテーマにした漫画家がいたから、彼女のことかしら、と。ついはじめから読みたくなって、1、2も引っ張り出して読みました。
18で、絵の勉強でフィレンツェに出かけてからイタリア暮らしの彼女。札幌に戻る。
子供がいることを知らされていなかった母は、
-夫ではなくいきなり孫を見せられた母は、「しゃあない、孫の代までは私の責任だ」といった。-日中、母親に預けて、イタリア語の非常勤講師などをしながら生活費稼ぎをする。
こんなダイナミックもありなんだ、と、ココロの中で喝采している部分がある。
当事者にとっては、一瞬一瞬が真剣な選択だったでしょう。
世の中小説よりも奇なりってこと、あるもんね、とも。
母親と一緒にいられない寂しさを伝える息子とのエピソードの話題のあと、再婚したそうで、前向きであることが、魅力なのでしょうね。
怖がりで、安全な道を選んでしまうワタシなのですが、こんな、自分の足で闊歩する女性のエピソードの応援者的な面は持ち合わせています。
ものごと、外野から論評するのは楽、と言うのは百も承知なのですが、こんな選択をしながら生きているひとに、座布団一枚!という思いになるのです。
舗装された道では飽き足らなくて、踏み分け道に入っていく、いや自分で踏み分けて道を作っていく、そんな人はパワフルだな、と眺めています。
自分の器量は承知。
だから、マイウェーをいくしかないけれど、
パワフル人生を歩んでいる人の応援者にはならなくてはね。