日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

雨降りもうれし。

2014-04-21 21:05:54 | 庭 4月
雨水タンクもほぼ空っぽだったので、雨はありがたい。
草花はすくすく成長中。

バラのつぼみも、ほらここまで!もうすぐです。

ヘンリーフォンダ


スーブニールドアンネフランク(アンネの贈り物)
ど素人w@m名前覚えやすい名前でしょ。笑


2株のサフィニアブリエッタもグングン成長中。
こんもりとしたボリュームを期待して摘芯する。
その摘んだものをポットに7本挿し芽した。
ついでにマツバギクも3本挿し芽。
上手く行って欲しいものです。
写真を撮ったつもりが…。次の機会にご紹介します。


これ去年挿し芽したマツバギクです。もうすっかりマンモスでしょ。こんな状態で冬越ししました。

ジキタリスも花穂を立ち上げる準備なのでしょうか。横に開き加減だった葉っぱがしゃきっとしてきました。これ24年の秋に種から育てています。だからたくさんあります。
小さい小さい苗で最初の冬越しをしたのです。それから、ずっとずっと庭で「緑の葉っぱ」という存在できました。バラ園の写真を見るとスクッと存在感のある花があって、それがジキタリスだと初めて知りました。ウチの庭では狂い咲きのように1輪、2輪は花穂をつけましたが、バラの季節に、というのは、ワタシはじめての体験なのです。
小さな苗が幾分育ったところで定植したのですが、こんな大きな株に育つとは思っても見なかったので、途中で花壇のアチコチに再移植しています。だから、このバラのシーズン、あっちからもこっちからもニョキニョキ、という状態になるんだろうなー、と想像しているのです。
あっ、膝痛で通院中の年配のお医者さんと話したら、「ジキタリスは心臓の薬」とのこと。
ということは、毒にもなるってこと?と切り替えしたら、笑っておられました。息子に聞くと、昔は使っていたけれど、最近は使わないようになった、との話。お医者さんには常識のことなんですね。
見て下さい。ただ緑の葉っぱですが、去年の炎暑もずっと水やりして世話をし続けてきたのです。はぁ~。…押し付けですワクワクしているのは育てている本人だけなのに。苦笑




最後に開花し始めたマーガレット。コメットピンクという名前です。

去年も豪華に咲いたのですが、枯れてしまいました(多年草と聞いていたのに)。木化するとダメみたいですね。もう少ししたら、挿し芽してこれも増やしたいと思います。




火曜は、豊田ガーデンのローズセミナーに行く予定。手探りでバラ造りをしてきたので、プロのお話が聞けるのは楽しみ。併設のお庭「花遊庭」の散策も楽しみです。
散策中は雨があがって欲しいものです。

追加:セミナーの講師は小山内健氏でした。どっかで見た顔!と思ったら、一昨趣味の園芸で、涼風真世さんを相手にバラ育てのハウツーを指導していた方でした。
さすがプロのガーディナー、お顔が日に焼けて真っ黒。25年の年季入りの話が聞けてよかったです。

コメント (2)
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映画「アンナ・カレーニナ」を観る。録画で。

2014-04-21 15:54:11 | 映画・テレビドラマ・音楽
2012年のイギリス映画「アンナ・カレーニナ」です。

注)ネタバレもあります。

原作はトルストイ。時代は1870年代半ば。もう日本は明治です。
18歳で高級官僚の妻となったアンナがふと出合った青年将校と恋に落ちる話。
60代のオバサンの筆(キーパンチ)にかかったら、身も蓋もないね~~。

誠実な夫がいて、幼い息子がいて、…そんでも、ひと目見た美男に惚れてしまって、どうしようもなくなる。
勿論貴族社会だけでの話。
アンナには3人の男兄弟がいるらしい。
ひとりの兄は艶福家で、7人の子供がいるにも関わらず、お盛んで浮気が耐えない。
もうひとりは、物書きらしいけれど、ひどく落ちぶれていて、身を持ち崩している様相。身請けした娼婦を妻として暮らしている。
弟(下の兄?)は、同じ貴族階級の娘に恋をしたが、彼女は美男青年将校に惹かれて、失恋。都会を離れて父の残した農園に戻る。
農園では、農奴たちの作業に加わる。
「これまでは30人余りでここの草刈をしてきたのに、あなたになってからは40人余り同じ作業をすることになった。あなたは加わらなくても、自分たちだけでもいい」というような台詞に対し、「自分も、眺めているよりも一緒に作業した方が楽だ」と答える。そうそう「お前は、父に買われてこの農園に来たのか」という台詞も。「買われて」黙々と草刈する人生。これが現実。
この二人の男兄弟を通して、帝政ロシアの捨て置かれている部分の描写なのだろう、そんなところが気になった。

将校に恋をした彼女も、将校はアンナと恋に落ちたものだから、失恋となる。思いなおして下の兄と結婚。貴族階級の妻を田舎に連れ帰るも、病ますます重くなった兄の世話も気になる。下の兄は、長兄の娼婦妻と自分の貴族妻を会わせるわけには行かない、と配慮するが、何のことはない、貴族妻のほうは、さも当然のことのように、重病人の世話に取り掛かる。現代人は人の値打ちって、こんなとこに見てしまいます(違うかな?)。
そんな箇所に気を取られるものだから、子供を置いて、将校を追いかけるアンナには、まぁ~、としか思わない。…たしかにキレイですけどね。

貴族ら毎晩のようにパーティーに次ぐパーティ。
ロシアの貴族階級は、パリの同階級なみを目指していたと読んだことがある。
そんな時代だったのだろう。日本も時代を違わずして、鹿鳴館を作り、脱亜入欧だったものね。
貴族はほんの一部。殆どが農奴のロシア。
チェーホフが「桜の園」を書いたのは1905年だったかな。

1917年に向かって着々と、進んでいったという表現は当っているのだろうか。
農奴からボルシェウィキになって、多少は日の目が当ったのだろうか。
ロシアという国は、なかなかな歴史を背負った国だな、と思う。

どうしても貴族階級のアンナに自分を投影できないものだから。アッハハ

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なんとまあ~。おいおいと声を挙げて泣きました。■追加文あり

2014-04-21 12:30:00 | 映画・テレビドラマ・音楽
映画館で。
その間、エンジン音のうるさい飛行中のシーン。音響効果もフルだったし、多分誰にも気付かれなかった、と思うけど。座席は真ん中通路の上側1列目。最前列からワタシの列までで観客もゼロ。
両手で顔を覆って、オイオイと、、、。

映画は「永遠の0」。
今、読んでいる途中なのですが、上映終了日も間近と知って、観てきちゃいました。

分厚い文庫本で、内容は延々と戦争当時の話を聞くという体裁なのですが、その律儀に当時の状況が説明されていることに圧倒されています。
映画の展開も、読書済みの部分は冷静に見ていられたのですが、その先のシーンで、そんなことが、、、としっかりとはまってしまいました。

読後感はまた、後日追加書き込みします。
410万部の売れ行き、と文庫本の帯にあります。
一世帯に1冊はあるのではないかと思われるほどの発行部数です。
それほどの人が読もうと思っているって、誠実な人たちの国だな、と思います。
あっ、ワタシの前に410万人ものひとが読んでいるということなのですもの。


こんなブログ記事にも出会いました。
ブログ主さんは、私からみると、子供世代です。
そう言えば、友人も、息子が読んで「よかった、映画も観に行きたい」と言っていたとのこと。
やっぱり、みなさんに読まれているんですね。
この国の人たちは、いい人たちだ。

活字本「永遠の0」読了。
軍事用の船のこと、飛行機のこと、丁寧に書き分けてあり、そのことが読みにくくもあり、またとても大切なことだとつくづく思いました。何冊もの本を読んではいても、真実に迫った(ろうとしている)点では、かけがえのない1冊になりました。
命をこれほどにも軽んじていた時代があった。それが私たちの国だった。
昭和30年、小学校の運動会を見に来ている父親たちは、みんな戦争を生き残ったものたちだ、戦死した若者たちも、ざぞかしこんな風に子供の運動会を見たかっただろう、という場面があります。私は昭和31年の1年生、戦後生まれです。親の語る戦時中の話はうっとうしいという、重荷感がありましたが、親たちにとっては戦争の爪あとがまだまだ尾を引いていたのだと、思いやったりもしました。
ちなみに、小説の展開は、新聞社がらみの戦後60年企画として、特攻で亡くなった祖父の知り合いを訪ねる、という形をとっています。そういえば、そのころ、母から新聞が送られてきました。地元の新聞社の戦後60年企画の戦争を語る特集に母の話が掲載されて(母の写真入でした)。苦労山積の話は、今でも母に話を持ちかけると、きっと、噴出すように語るでしょう。でも、父がシベリアから戻ってこられたから、よかったね~。だって、私、戦後生まれだもの。
死にたくなかった多くの命に、合掌。

■ タイトル「永遠の0」の「0」って、主人公がゼロ戦乗りだったから、そこから来るゼロだと思っていました。終盤で、いや違う、と。
九死に一生という言葉があります。彼ら特攻を命じられたものには、その一生がないのです。「十死零生」という言葉が何度か出てきます。どんなに努めても、生き残る方法がゼロであることの、非情。
本の文字を目で追いながら、ひとりリビングで嗚咽。
米軍も日本人の行動様式が理解不能だったでしょうね。
「抗命」(命令に抵抗すること)は死刑に値する時代。「十死零生」しかないなんて。
そんな国、私たちの国だったのですよ!

やっぱり、今生きている私たちは、しっかりと生きないと、ね。

コメント (3)
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