この二日ほど、朝、地下鉄駅に向かう10分足らずの車に乗っている時に、救急車に出会った。
緊急サイレンは後ろから聞こえてきて、9時前の片側2車線の国道の車列はそれぞれがスピードを落とし、緊急車両通過幅を開けようとする。
ドライバーのルールだから、語らずとも、みんな一斉に配慮しようと動く。
少しずつサイレンが近づいてきて、追い越し、遠のいていく。
私には、運転手さん、速く病院に連れて行ってあげて、とハラハラするところがある。
救急車はプロだから、百も承知の、当たり前、なんだろうけれど、
速く、急いでー、と、援護したい思いになってしまう。
救急車の中の患者さんは、どんな病なのだろう、と。
つい1年半前を思い出してしまいます。
たまたま(娘は、万一に備えて、近くに大きな専門病院があるところを選択したとはいうものの)、緊急で搬送された病院が近くて、出生後、時間をおかずに治療に入れたから、今がある
。あの息も詰まると感じるほどの日々があったということを、まだ時々思い出す。感謝です。
きっと、親たちは、毎日の子育てに追われていて、目の前で動き回る姿に元気が溢れていて、出産時のアクシデントは遠い出来事になっているのかもしれないけれど、遠くに住んで、会う機会も少ない私には、まだ、あの、救急車で搬送されていった瞬間と空間が容易に蘇ってくる。
この夏の会う機会に、歩いている元気バージョンをたっぷり目に焼き付けると、あのドキドキ感も薄れるだろうか。
緊急サイレンは後ろから聞こえてきて、9時前の片側2車線の国道の車列はそれぞれがスピードを落とし、緊急車両通過幅を開けようとする。
ドライバーのルールだから、語らずとも、みんな一斉に配慮しようと動く。
少しずつサイレンが近づいてきて、追い越し、遠のいていく。
私には、運転手さん、速く病院に連れて行ってあげて、とハラハラするところがある。
救急車はプロだから、百も承知の、当たり前、なんだろうけれど、
速く、急いでー、と、援護したい思いになってしまう。
救急車の中の患者さんは、どんな病なのだろう、と。
つい1年半前を思い出してしまいます。
たまたま(娘は、万一に備えて、近くに大きな専門病院があるところを選択したとはいうものの)、緊急で搬送された病院が近くて、出生後、時間をおかずに治療に入れたから、今がある
。あの息も詰まると感じるほどの日々があったということを、まだ時々思い出す。感謝です。
きっと、親たちは、毎日の子育てに追われていて、目の前で動き回る姿に元気が溢れていて、出産時のアクシデントは遠い出来事になっているのかもしれないけれど、遠くに住んで、会う機会も少ない私には、まだ、あの、救急車で搬送されていった瞬間と空間が容易に蘇ってくる。
この夏の会う機会に、歩いている元気バージョンをたっぷり目に焼き付けると、あのドキドキ感も薄れるだろうか。