日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

イザヤ・ペンダサン著「日本人とユダヤ人」を読んでいます。

2017-01-13 07:27:42 | 
手にしているのは、角川文庫 昭和52年5月20日 50版発行。ちなみに初版は昭和46年9月30日です。

すっかり黄ばんだ、超年季ものです。苦笑

発効日の10日後には長男が生まれています。私たち夫婦は20代。夫が購読したものです。

出版当時は大いに話題になった本で、当然私も知っていました。少しぐらい読んだかもしれません。知識人であればこの本ぐらい当然、といった風潮だったでしょうか。300万部売れたそうです。

当然中味は覚えていませんでした。12月の半ばに読みだして、驚きです。
文章がずしんと胸に落ちるのです。こんな本が40年も前に出版されていて、300万部も市中に行き渡っているなんて、そんなことも驚きです。私なんぞは、そのころ読者になったとしても、文字面を読んでいるだけでしたでしょう。

今、年月を経てきた自分が、再度出会えたことに感謝です。
この本を読んで「わかる自分」になっていられたことも、ちょっと嬉しいんですけどね。

司馬遼太郎はじめ(塩野さんのローマ史とか、現代ヨーロッパ考では川口さんとか)、それなりの歴史物語を読んできましたが、それらを読んできた自分の中のものとの摩擦は生じません。

そういうことだったのか、と教えられることの連続です。
著者は「知の巨人」ですね。英明で深い知識に裏打ちされた人の文章に出会うと、いち本読みとしてありがたい限りです。

4季がある農耕民族の日本人と遊牧民族には、物事理解において共感不能なものがどうしてもでてくる、納得。


例えば、一例。

アメリカや西ヨーロッパで奴隷制度があった時代、奴隷は家畜に類する扱い、言ってみれば「ヒト家畜」なのです。だから牛馬と同様の売買の対象であり、女性の奴隷は数を増やすという役目を負わされていた。日本にも人身売買があったというが、それは「人」を身売りするのであり、決して、「ヒト家畜」という扱いではないから、奴隷制度の国々とは同じではない。



コメント (2)
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