先頃BSプレミアムで放映されたものです。録画で。
1974年の作品。映画の時代は1963年11月23日の西ドイツ。
見ておいてよかったと思うので、自分のための備忘録的に綴っておきます。
ネタバレあり。
ひとりのフリーライターが警察や救急車が駆けつける現場に出くわす。
老人の自殺だとわかるが、後日、取り調べ関係者から老人の遺品だという日記を受け取る。
日記には、ナチス親衛隊の残虐行為を行ったロシュマンを最近、この町で見たということが記されている。
老人の自殺は、なんら罰せられることなく生き延びでいるナチス党員を通報したのに、役所からは無視されたことに対する失望だったらしいと、彼の知り合いから聞く。
記者はこの日記を手掛かりとして、自分もその残虐なロシュマンを探そうとする。
ナチスの生き残りたちの集会に紛れ込み、カメラのフラッシュで記者が混じっていることがバレて、抹殺されそうになり、目的達成のために、反ナチス親衛隊側、ユダヤ系ドイツ人グループに近づく。
旧ナチスのメンバーの身分に変装して、実態を探りに入ると、終戦間近に多くの親衛隊員らは偽造パスポートを手にして、戦後も生き延びるという手段がとられていたことを知る。
その偽造パスポートを印刷している人物(今は父親の後を引き継いだ息子がやっている)に近づくと、息子の行方がわからず、印刷工の老母が書類を隠し持っていることを教える。
「(その書類がばれるのが怖いから)息子は今行方がわからないけれど殺されないハズだ」と。
彼女から秘匿してある金庫の番号を聞きだし、書類を手に入れる。その書類のタイトルが「オデッサ」。ナチス親衛隊が戦後生き延びていくための新しいパスポート名が記されていました。
1964年の2月に、官庁に匿名で送られてきたことにより、たくさんの旧ナチス親衛隊が検挙された、というのは実際の話らしいです。
弁護士、判事、警察、地方官庁、病院などの分野にも、名前を変えて生き延びだ旧ナチス親衛隊メンバーがの名前があったらしいです。
若き記者の父親も戦争中に死んでいます。母親から聞いた、父の話(役職や赴任地)から、生き残りのユダヤ人が書いた日記の記述にあるロシュマンが、傷病兵を船から降ろして親衛隊が乗り込もうと無理強いた男であり、傷病兵を誘導していた軍人が父親ではなかったか、という思いに行き着くのです。そういう思いもあって、危険をおかして旧ナチス親衛隊仲間に近づき、彼らの存在を暴こうと動き回ります。
私が知らないだけだったのかも知れませんが、戦争中にナチス側の研究者だった優秀な人材が、終戦後のアメリカとソ連に渡ったらしいです。敵側研究者ですが、当然罰せられることもなく、です。優秀な人材がほしかったという理由からです。東西冷戦時代の、宇宙開発や原子力の分野の開発においては彼らの力が大いに発揮するところだった、とか。
そうなんだ~と、咀嚼して日が浅い(この1~2年)私でしたので、科学者たちだけでなく、組織の幹部たちも、彼らなりの生き延びる道をこしらえていたのだと、ズシンときました。きれいごとではなく、まさしく厳罰から逃げるために人が考え付くこと。45年から63年まで漏れることはなかったのかしら、、、です。
きっと、まだまだ知らないことがたくさんあるのでしょうね。
いくつになっても、仕入れ(知ること)ばかりです。
1974年の作品。映画の時代は1963年11月23日の西ドイツ。
見ておいてよかったと思うので、自分のための備忘録的に綴っておきます。
ネタバレあり。
ひとりのフリーライターが警察や救急車が駆けつける現場に出くわす。
老人の自殺だとわかるが、後日、取り調べ関係者から老人の遺品だという日記を受け取る。
日記には、ナチス親衛隊の残虐行為を行ったロシュマンを最近、この町で見たということが記されている。
老人の自殺は、なんら罰せられることなく生き延びでいるナチス党員を通報したのに、役所からは無視されたことに対する失望だったらしいと、彼の知り合いから聞く。
記者はこの日記を手掛かりとして、自分もその残虐なロシュマンを探そうとする。
ナチスの生き残りたちの集会に紛れ込み、カメラのフラッシュで記者が混じっていることがバレて、抹殺されそうになり、目的達成のために、反ナチス親衛隊側、ユダヤ系ドイツ人グループに近づく。
旧ナチスのメンバーの身分に変装して、実態を探りに入ると、終戦間近に多くの親衛隊員らは偽造パスポートを手にして、戦後も生き延びるという手段がとられていたことを知る。
その偽造パスポートを印刷している人物(今は父親の後を引き継いだ息子がやっている)に近づくと、息子の行方がわからず、印刷工の老母が書類を隠し持っていることを教える。
「(その書類がばれるのが怖いから)息子は今行方がわからないけれど殺されないハズだ」と。
彼女から秘匿してある金庫の番号を聞きだし、書類を手に入れる。その書類のタイトルが「オデッサ」。ナチス親衛隊が戦後生き延びていくための新しいパスポート名が記されていました。
1964年の2月に、官庁に匿名で送られてきたことにより、たくさんの旧ナチス親衛隊が検挙された、というのは実際の話らしいです。
弁護士、判事、警察、地方官庁、病院などの分野にも、名前を変えて生き延びだ旧ナチス親衛隊メンバーがの名前があったらしいです。
若き記者の父親も戦争中に死んでいます。母親から聞いた、父の話(役職や赴任地)から、生き残りのユダヤ人が書いた日記の記述にあるロシュマンが、傷病兵を船から降ろして親衛隊が乗り込もうと無理強いた男であり、傷病兵を誘導していた軍人が父親ではなかったか、という思いに行き着くのです。そういう思いもあって、危険をおかして旧ナチス親衛隊仲間に近づき、彼らの存在を暴こうと動き回ります。
私が知らないだけだったのかも知れませんが、戦争中にナチス側の研究者だった優秀な人材が、終戦後のアメリカとソ連に渡ったらしいです。敵側研究者ですが、当然罰せられることもなく、です。優秀な人材がほしかったという理由からです。東西冷戦時代の、宇宙開発や原子力の分野の開発においては彼らの力が大いに発揮するところだった、とか。
そうなんだ~と、咀嚼して日が浅い(この1~2年)私でしたので、科学者たちだけでなく、組織の幹部たちも、彼らなりの生き延びる道をこしらえていたのだと、ズシンときました。きれいごとではなく、まさしく厳罰から逃げるために人が考え付くこと。45年から63年まで漏れることはなかったのかしら、、、です。
きっと、まだまだ知らないことがたくさんあるのでしょうね。
いくつになっても、仕入れ(知ること)ばかりです。