前記事の後段に綴った、5年前からの変わり、に思いをはせる。
いえ、もっとまえ、40代頃の自分、50代頃の自分も思い起こしたりしている。
あのころ(40代)の自分のほうが、抱えているものがあって、うずうずしていた。若かったのだろう。自分はこうしたい、というものを持っていた。
それから、いろいろ目の前のこと優先の時代が続き、精一杯進んできたところ、いまに至っている。
当たり障りなく、丸くなっている自分。ま、結局はこんな選択をするタイプだったんでしょうね。
願わくば、途上国に小学校を作りたい、なんて思っていたことあった、なんて、遠い昔。
なので、今、与えられている場で精一杯やります。
こんなところかな。↑ 今年の抱負。苦笑
今週の水曜日。いつもの3人での新年会です。
今、読んでいる本の中から。
江戸時代の松代藩の財政改革を記した、家老恩田木工の「日暮硯」という本が、当時大いに読まれたようです。
イザヤペンダサンの「ユダヤ人と日本人」の中で知りました。
司馬遼太郎の文章の、かつての貧しい時代にあって、少しでも良い改革を尽力したひとたちがあちこちにいて、彼らは歴史の中では埋もれたままになっているのだという書き方をしていたことを思い起こします。
きっと、きっと今の時代も共通点はあると思います。与えられたことを、よいふうにやっていくこと、そういうことでしょうね。
いえ、もっとまえ、40代頃の自分、50代頃の自分も思い起こしたりしている。
あのころ(40代)の自分のほうが、抱えているものがあって、うずうずしていた。若かったのだろう。自分はこうしたい、というものを持っていた。
それから、いろいろ目の前のこと優先の時代が続き、精一杯進んできたところ、いまに至っている。
当たり障りなく、丸くなっている自分。ま、結局はこんな選択をするタイプだったんでしょうね。
願わくば、途上国に小学校を作りたい、なんて思っていたことあった、なんて、遠い昔。
なので、今、与えられている場で精一杯やります。
こんなところかな。↑ 今年の抱負。苦笑
今週の水曜日。いつもの3人での新年会です。
今、読んでいる本の中から。
江戸時代の松代藩の財政改革を記した、家老恩田木工の「日暮硯」という本が、当時大いに読まれたようです。
イザヤペンダサンの「ユダヤ人と日本人」の中で知りました。
司馬遼太郎の文章の、かつての貧しい時代にあって、少しでも良い改革を尽力したひとたちがあちこちにいて、彼らは歴史の中では埋もれたままになっているのだという書き方をしていたことを思い起こします。
きっと、きっと今の時代も共通点はあると思います。与えられたことを、よいふうにやっていくこと、そういうことでしょうね。