日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

それは変わったのだろうか?

2017-01-22 08:31:37 | 私の雑感あれこれ
前記事の後段に綴った、5年前からの変わり、に思いをはせる。

いえ、もっとまえ、40代頃の自分、50代頃の自分も思い起こしたりしている。

あのころ(40代)の自分のほうが、抱えているものがあって、うずうずしていた。若かったのだろう。自分はこうしたい、というものを持っていた。
それから、いろいろ目の前のこと優先の時代が続き、精一杯進んできたところ、いまに至っている。

当たり障りなく、丸くなっている自分。ま、結局はこんな選択をするタイプだったんでしょうね。


願わくば、途上国に小学校を作りたい、なんて思っていたことあった、なんて、遠い昔。


なので、今、与えられている場で精一杯やります。

こんなところかな。↑ 今年の抱負。苦笑

今週の水曜日。いつもの3人での新年会です。


今、読んでいる本の中から。

江戸時代の松代藩の財政改革を記した、家老恩田木工の「日暮硯」という本が、当時大いに読まれたようです。
イザヤペンダサンの「ユダヤ人と日本人」の中で知りました。
司馬遼太郎の文章の、かつての貧しい時代にあって、少しでも良い改革を尽力したひとたちがあちこちにいて、彼らは歴史の中では埋もれたままになっているのだという書き方をしていたことを思い起こします。
きっと、きっと今の時代も共通点はあると思います。与えられたことを、よいふうにやっていくこと、そういうことでしょうね。





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誘引、ほぼ終わる。

2017-01-22 07:58:39 | 庭 1月
年を追うごとに、ツルバラの迫力が増しているので、冬場の剪定、誘引作業が重くのしかかる。
大鉢4つ以外は、年明けからの作業スタートだったけれど、昨日、夫に手伝ってもらって、一番の悩みの種だったマダムカロリンテストゥの誘引を終えた。
まだ寒肥はこれからだし、誘引の手直しもあるけれど、自分一人ではやりきれないところが終わってほっとした。

今朝の庭。
地味~な、誘引仕事をした証拠写真のようなものです。










ひと働きすると、毎度こんな具合に剪定枝が出ます。手の甲、手首などはとげのひっかき傷がいっぱいです。


冬枯れの庭に、花と言えば、ロウバイ。



良く咲くスミレ、というネーミングの一株。



これも、お正月過ぎるとなぜか色褪せますが、見るとかわいいものです。





たまたまipadで手軽に2012年3月のバックナンバー検索してみました。
まだ、ガーデニングが始まっていません!
隣家が取り壊されて更地になっているスペースを眺めているワタシ。このころは草取りなんてしないタイプです。
そのころの記事を読みながら、あれからの日々を感慨深く思いだします。



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