子育てのころのシーンです。
興味のない方はスルーしてください。
先日、防災センターに行ったとき、隣接している区役所のロビーに、防火週間のポスターの優秀作品が展示してあった。
連れの二人が、まじまじと見入って、上手だね~と鑑賞していた。
ふと、かつては、いつもポスターが入賞した、とか、校長室の前に貼られているから、とかで見に行ったものだと、思い出した。
どの子も絵が好き、ポスター制作は好きな時間だったと思う。
私は、仕事が中心で、子どもは学校任せ、それどころでなかった。汗
展示されたから、と聞いて、見に行く、を何度も経験しているのは親として幸せ者だったのだろう。
そういえば、パルサー材が欲しい、と息子が言ったことがある。
パルサー材って、どういうものかも知らない私に。
(今のようにネットで調べる時代ではなかった)
ホームセンターで買ってきたパルサー材で、息子は恐竜を彫った。
長さが足りなかったので、しっぽのところが切れていた。
多分、なんとかザウルス、なのだろう。
そのなんとかザウルスは、前足の片方に重心がのっている形で彫ってある。
本人は意図したのかどうかは、本人とも話題にもしていないけれど、「すごい!」と親ながら思った。
そのほうが、いかにも動き出すかのように見えるのです。
私だったら、平凡に掘るだけで、そこまではしていないだろうな、と。(その時の心中です)
今、私は孫のために、お絵かき帳にいろんな恐竜の走り描きをしたりします。
これは、○○サウルス。○○ドン。と白い紙の上に現れる姿に、喜んでくれます。
だだし、走りだしそうな姿にアレンジはちっともできません。
ただ図鑑をみてざっくり描くだけ。苦笑
鉛筆と用紙があれば、子どもたちは常に描いていたな~、と走馬灯は巡ります。
なぜ絵の話題に焦点が向いたのかというと、防火週間のポスターだけではなく、購読している新聞の朝刊の最終ページで語られている(
取り上げられている)絵が、昨日、今日と「好きだ」と自分に伝わってくるからです。
円山応挙、そして今日は円山派の絵師の作品。
今の自分は、こんなのに心打つんだ、と自分の心の中で反芻しています。
以前に、三千院でみた一幅の水墨画も思い起こします。
紙と書くものがあれば、目の前のものを描いて楽しめる。お得な気質を持っているな、と思います。
息子、娘たちも、今は忙しくしていても、やがては、思い出して筆を執ることがあるかもしれません。
今日の新聞小説では、正岡子規が夏目漱石に与謝蕪村を紹介している場面でした。芭蕉より蕪村が好みだと。そして、俳句は年寄りのものではなく、若い自分の心を揺さぶる、と。
・・・ただし、小説家伊集院静さんの小説での話ですけどね。
以上、雑文でした。
興味のない方はスルーしてください。
先日、防災センターに行ったとき、隣接している区役所のロビーに、防火週間のポスターの優秀作品が展示してあった。
連れの二人が、まじまじと見入って、上手だね~と鑑賞していた。
ふと、かつては、いつもポスターが入賞した、とか、校長室の前に貼られているから、とかで見に行ったものだと、思い出した。
どの子も絵が好き、ポスター制作は好きな時間だったと思う。
私は、仕事が中心で、子どもは学校任せ、それどころでなかった。汗
展示されたから、と聞いて、見に行く、を何度も経験しているのは親として幸せ者だったのだろう。
そういえば、パルサー材が欲しい、と息子が言ったことがある。
パルサー材って、どういうものかも知らない私に。
(今のようにネットで調べる時代ではなかった)
ホームセンターで買ってきたパルサー材で、息子は恐竜を彫った。
長さが足りなかったので、しっぽのところが切れていた。
多分、なんとかザウルス、なのだろう。
そのなんとかザウルスは、前足の片方に重心がのっている形で彫ってある。
本人は意図したのかどうかは、本人とも話題にもしていないけれど、「すごい!」と親ながら思った。
そのほうが、いかにも動き出すかのように見えるのです。
私だったら、平凡に掘るだけで、そこまではしていないだろうな、と。(その時の心中です)
今、私は孫のために、お絵かき帳にいろんな恐竜の走り描きをしたりします。
これは、○○サウルス。○○ドン。と白い紙の上に現れる姿に、喜んでくれます。
だだし、走りだしそうな姿にアレンジはちっともできません。
ただ図鑑をみてざっくり描くだけ。苦笑
鉛筆と用紙があれば、子どもたちは常に描いていたな~、と走馬灯は巡ります。
なぜ絵の話題に焦点が向いたのかというと、防火週間のポスターだけではなく、購読している新聞の朝刊の最終ページで語られている(
取り上げられている)絵が、昨日、今日と「好きだ」と自分に伝わってくるからです。
円山応挙、そして今日は円山派の絵師の作品。
今の自分は、こんなのに心打つんだ、と自分の心の中で反芻しています。
以前に、三千院でみた一幅の水墨画も思い起こします。
紙と書くものがあれば、目の前のものを描いて楽しめる。お得な気質を持っているな、と思います。
息子、娘たちも、今は忙しくしていても、やがては、思い出して筆を執ることがあるかもしれません。
今日の新聞小説では、正岡子規が夏目漱石に与謝蕪村を紹介している場面でした。芭蕉より蕪村が好みだと。そして、俳句は年寄りのものではなく、若い自分の心を揺さぶる、と。
・・・ただし、小説家伊集院静さんの小説での話ですけどね。
以上、雑文でした。