日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

スケールが違う。

2019-11-28 08:11:53 | 私の雑感あれこれ
若いころから、教育を受けられない子供たちを減らしたい、という思いがあって、途上国に学校を作るのが夢だったころがあった。

北京へ旅行した20年ほど前は、ガイドさんが、この国では皆さんの国の登校拒否と違って、貧しくて学べない子供たちがいる状況です、と語っておられました。その後、目を見張る発展を遂げましたけれど・・・。

だから、その手の話題には関心があったのですが、ある時、アジアの某国で学校建設をしたというご本人から聞いたエピソードが、さもあり何という内容だったことから、腰が引けた状態で、なにも遠い海外よりも、近くの困っている人から、、、と方向転換しました。

そして、昨日のテレビ報道で、ミャンマーの少数民族の子供たちに数百の学校建設費用として数千億円の資金を出すというのです。日本の国が。
なけなしの個人資金とは桁が違います。お金の流れはなかなか独特で、ダイレクトに子供たちの恩恵にいきわたってくれるかどうかの問題もあるかもしれませんが、学ぶ場の大事なことに目が向けられるというのは、ほっこりするニュースです。

隣国ラオスの少数民族も、初等教育5年間の義務教育の途中で挫折してしまう子供たちがいるということを聴いていました。これも昨今の社会変化で変わったことでしょう。

海外旅行から遠ざかっていますが、みなさんから届く『旅行しました』の話では、海外旅行者が動くルートが、不便がないように、快適な印象で帰国してもらうように、と作られたエリアのような気がしてしまいます。

私は、その国の、初任給はどれくらいだろうか、とか、電車の初乗り料金はいくらかな、なんて、関心がそんなとこにあるタイプです。

百聞は一見に如かず、だから、足を運んでみるのは大事なことだと思うのですが。

日本で働きたい外国人が多くいる、というニュースにも、日本で働くほうが生まれた国よりも豊かになるチャンスがあると思うから、でしょう。外国人がどんどん入ってきて、欧米の都市部風になっていくのでしょうか。

そういえば、大学1年の春休みにアメリカへ行っていた娘が言っていました。
「お母さん、カナダのコンビニでは、インド人が働いていたよ」と。

今では、日本でもコンビニのレジを外国人が担当するのは普通になっていますよね。

よもやま話になってしまいました。




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小耳に入ってきたニュース。

2019-11-28 07:49:26 | 私の雑感あれこれ
朝5時台のニュースをベットの中で聴いていた。
その中のひとつに、緊急搬送の段階で、家庭で看取りたいから蘇生をしないでほしい、という家族の要望が結構見られる、というのがあった。
今後、ルール化するか検討に入る、とのこと。

高齢者と生活を共にしていないけれど、なんだかわかる、という思いになった。

(今の私は、倒れたら救急車を呼んでね、と家人に伝えている。医者嫌いタイプなので、放置されたら困るから。苦笑)

家族が一刻を争う事態を救急車で救われた経験を2度しているから、街中で救急車に出くわすと、「速く行って! 頑張れ!」という気持ちが湧くのも事実です。

でも、90歳を過ぎたら、蘇生はいいかな~、という気持ちもある。

年齢で区切るのは正しくはないと思うけれど、日常の生活状態、体調(病状)の様子を兼ね合わせて、そんな判断を話題にするのも、避けて通れないことのように思う。

だから、今の一日一日が大事。

年とってからの、ほぼ寝たきりになってからの、自分を手厚くしてもらうより、今、自分で動ける状態の時に、後悔なく生活しなくては、という筋書きになる。

―いつまでも生きるつもりで学ぶ。明日死んでも悔いが残らないように生きるー

ガンジーの言葉だそうで、全くです。

前述のルールの検討については、駆け付けた救急隊もその都度対応に困るからでしょうね。

まだ先のことだから、言えるのよ、と言われるかもしれないけれど、そう思う。

若い世代は全く別です。

事故による突然死を伝えられる家族のことを思うと、どのケースであっても、いたたまれない思いがします。





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