日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

2泊3日の京都旅行から戻ってきました。

2020-03-23 09:36:04 | 歴史探訪・城巡り
夫婦での初めての京都旅、よい旅でした。

夫は京都旅行を避けていたところがあり、ひとりで行くか、と思っていたのが、二人になり(もちろん、コロナ騒ぎのずっと前です)、御所の近くのホテルを予約していました。

混みあったところは避けて(実は人気で、観光客満員の、、、、という情報には疎かった。苦笑)、という気持ちもあって、京都駅南側に位置する、醍醐寺、伏見稲荷、鳥羽伏見の戦いあとあたり、の3か所を回ってから、ホテルに向かう予定にしていました。
碁盤の目の街並みエリアではないこともあり、カーナビ頼りに向かう道すがらは、道幅ギリギリで神経を使うところ多し、でした。

醍醐寺
太閤秀吉が,「醍醐の花見」をしたところ。桜の開花も京都の中では早咲き、というのも期待の一つでした。
駐車場はほぼ満杯状態で、待たずに止めることができて、コロナで観光客激減のおかげだったのでしょう。
白人客の観光バス1台だけで、あとは団体観光客ゼロでした。
ソメイヨシノのつぼみは堅かったですが、樹齢を経た枝垂桜があちこちで満開。
伽藍エリアは広くて、豪壮な建築様式。夫曰く「名古屋にはこんなところないだろう」と感心しきりでした。
次に(ひとめぐりしてパスしようか、という気持ちもないわけではなかった)三宝院内に入りました。
庭園は見事でした。平安時代の寝殿造りを模した設計になっているという広い縁台(風?スペース)に、腰を下ろして眺める庭園(秀吉が基本設計をした)の景観は贅沢そのもの。開け放たれた室内の襖絵にも見入りました。パンフレットにQRコードがついていたから、利用したらよかった~~残念。






伏見稲荷
カーナビの誘導に惑わされ、手間取りましたが、無事に到着。
インスタグラムで人気らしい、というぼんやり情報しか知らず、でした。
赤い鳥居がいっぱい。千本鳥居のほうへ足を運びました。行っても行っても、まだまだ鳥居は続きます。途中の案内図を見ると山頂まで続いている風です。半分ぐらいまで登ったでしょうか、頂上まで40分とあるところで、引き返してきました。ふぅ~

、同じ伏見区なので、鳥羽伏見の戦いがあったエリアは遠くはないと思うのですが、カーナビで惑わされて神経が疲れていたこともあり、無理をすることない、また次の機会に来ればいい、とホテルに向かいました。

ホテルは街中なので、そこへ向かう道すがらも混んでいるかしら、という気持ちを抱えながら、です。
結果、多分コロナの影響で市内を走っている観光バスゼロの状態ですから、ウルトラすいている観光シーズンだったのでしょう。
5時にはホテル着となりました。

↑ の2つとも、結構のぼり坂が多くて、山登り感覚でした。⇒ 宿に帰って、膝に疲れが、、、、。

翌日は、地下鉄バス一日乗車券(900円)で、京都を回ろう、ということにしました。
ホテル界隈のお寺で、こことか、そこへ、と候補も上げましたが、夫は、何度も用事で京都は訪問していますが、神社仏閣へは行ったことがなくて、初京都。ひとまず王道コースから踏破しよう、ということで、金閣寺へ向かいました。

金閣寺
私は、中学の修学旅行以来になります。55年ぶりでしょうか。33年に焼失して再建されたわけで、まだ再建してから年月も新しかったのかなと思っていましたが、今回も金色に曇りもなく、きれいな金閣寺でした。入場には拝観料ではなく、400円と引き換えにお札が手穂たされました。お参りに訪れた人にお札を渡す、400円はお札代ということで、課税対象にはならない仕組みだ、と誰かがささやいていました。へぇ~、です。苦笑


京都のイラスト図では金閣寺のすぐ近くに、天竜寺があります。バスで一つ二つ。社会科の資料集に載っていた石庭を見るのもよし、という流れになって、目指すことにしました。


バスの本数は少なく、立命館大学前までバス、その後は天竜寺前まで1停留処分7分は歩きました。
天竜寺
石庭はかつての記憶にある写真どおりでしたが、想定内だったからでしょうか、インパクトは三宝院のお庭ほど圧倒された感じはしませんでした。


また、帰路も1停留処分を歩いて、銀閣寺へ向かいました。

金閣寺の次に銀閣寺となっているのですから、まったく初心者向けの王道コースそのものです。苦笑

銀閣寺
これも修学旅行以来です。夫は修学旅行は東京方面だったので、ここも「初」です。
途中は、足利義満、義政の話を語りながら、お寺巡りなのですが、夫は、「尊氏はできた人物として伝わっているけれど、義満は、読めば読むほど悪い奴だと思える人物だった」とか、義政没後、応仁の乱となっていく顛末を聞かされる。若いころに読んだ(身に着けた)方が記憶に残るけれど、年を取ってから習得した知識はするりと抜けてしまう。苦笑

銀閣寺の次は清水寺。
バスで向かうのだから、お寺からバス停、バス停から境内まで、と近くはあっても、それなりに歩く。
またまた、バス停から清水寺への道は急坂この上なし。
清水の舞台というのも、夫にとっては「初」。
私は3筋の滝(音羽の滝)が流れていて、順番に柄杓で飲んだ記憶がある。その時の私はセーラー服姿。55年も前のことです。笑

地下鉄、バスの一日乗車券なのに、地下鉄に乗っていないね~、という話になり(けち臭いでしょ。苦笑)、だったら二条城は地下鉄の出口すぐにあるから、ということで、そちらを加えた。

地下鉄に乗るために、バスを乗り継ぐ。

実は、二条城は22日(日)まで、コロナのために閉鎖とネットにあったので、建物内に入れなくても外観だけでもお薦めの気持ちがありました。で、行ってみると、急遽1日繰り上がったようで、二の丸御殿には入ることができました。書物では当然のように知っていても慶喜が大政奉還の意思を表明した大広間、その場所がここであると目の前にすると、感慨深いものです。(私は昨秋にも来たばかりですけどね)

この後に、京都御所を訪問する予定でしたが、私の体力消耗が激しく(大丈夫か、と何度も尋ねられるような有様)、時間はたっぷりあるけれど、ホテルに帰りました。

※ 多分、例年だと、この季節の道路は渋滞でこんな形で回るのは大変でしょうが、格別の渋滞はありませんでした。観光バスとすれ違うことゼロ。

連泊ということでホテルはメニューを連泊パーションに代えてあります。最上階(でも5階)の部屋からも、レストランからも、のどかに流れる鴨川が一望できる好立地にあります。京都見物時に利用するリピーターになりそうです。

温泉につかって、疲れを取ろうとするも、なかなかひざ痛は取れず。トホホ

3日目は、昨日見学しそびれた、今日御所へ徒歩で向かう。
ガイドの説明を希望するのであれば9時半に集合、という予定で早足で砂利路を急いだけれど、コロナの関係で、ガイドは中止。
パンフレットを片手に順路に沿って回る。
途中で、案内音声が聞こえてくる。
有料の説明グッズがあったのかしら、と目をやると、その人はスマホを手にしている。

そう、QRコードから京都御所案内検索へ誘導される仕組み。ポイントごとにクリックすると、音声案内が聞こえてくる仕組みです。
めったにQRコードでの読み取りをしたことがないけれど、チャレンジ!
できました。…できたことがうれしい。うっふふ
いくつもの説明の中の一つ「小御所」では、孝明天皇と尊皇派が詮議をしていたとか、実物の前で説明を聞くと脳内での臨場感が増します。苦笑

御所の北側の桜が満開ですよ」と、バスに乗り合わせた地元の方がアドバイスをくださっていたこともあり、足を運ぶ。(痛いのに、、、) 御所の東隣にある迎賓館もお薦め、と聞いたけれど、コロナで閉鎖。

ホテルの駐車場に留め置いている車に戻って、比叡山に向かう。
カーナビがあるから、到着時間かわかり便利、ではあるけれど、有料道路に入る前の道路は、狭くて神経を使う。

比叡山延暦寺の東塔エリアだけを見て回る。
根本中堂(国宝)は、修復工事中でしたが、内部の仏像はもちろん、工事中の屋根の吹き替えの様子も巡廻して見学できました。
現在の建物は、徳川家光公によって再建とあります。京都のお寺をいくつか見たところで、結構、徳川の世になって家光が再建しているのだと気が付きます。
境内の道すがら、片側には最澄の生い立ちを書いた看板、反対側には比叡山で修業した親鸞、日蓮、一遍とうの私たちが知っているお坊さんたちが比叡山で修業をしたことが書かれています。比叡山は日本仏教の母寺のような面を持っているのだと思いました。

以上、なんだか、より取り見取りの修学旅行のような旅でした。

ここも、団体客ゼロでした。超満員ではないので、昼食をとるのもスムーズにできました。

疲れがマックス。なんとか車中の人になって、家路につきました。

(後日、写真も追加します)

















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする